「次は俺の番だ」
ブラウンの癖のないまっすぐな前髪を掻きあげながら、スレイが言った。
放課後、いつものようにジョウとスレイはつるんで遊びに来ていた。
先週からふたりの間で流行しているのは、自前で作ったエアガンでのガウスの狙い撃ちだ。
体長20センチそこそこの鳥類だが泣き声がうるさく、庭の手入れした花を面白がって落とすのでアラミスでは嫌われ者だ。
だからと言って、撃ってよい訳ではないのだが。

乾いた音が響いた。キットの改造品とは言え、エアガンは鳥を落とすくらいの威力は充分あった。
70メートルほど先の木の枝に止まっていた影が落ちる。
「やるな」ジョウがちらりと横目でスレイを見た。
そして、おもむろに古いブロック塀の上に左腕をのせ、狙いをつける。
「木の上には、もういないぜ」スレイが訝しげに言った。
「その向こうの屋根に止まっているヤツだ」
言うと同時にトリガーを引いた。120メートルはゆうに離れている標的だった。
「うわ、マジかよ。どこに落ちた?」
「やったよ。ガレージの屋根の上に落ちた」
ジョウが黒い瞳を凝らして言う。
「ちぇっ、相変わらず外さないなあ。競いがいの無いヤツだぜ」
肩をすくめて、つまらなさそうにスレイが言った。

「レイラ達が騒いでたぜ」
自分のエアガンを器用に分解しながら、スレイが突然口を開いた。
「ジョウが年上好みだったなんて!ひどいわっ!」
拳を口元に寄せ、これまた器用にレイラの口真似をする。
ジョウは無言のまま、スレイの向こう脛を蹴り飛ばした。たまらず、スレイは屈みこんで呻く。
「つまらねぇこと、すんな」
「あっれー、なんだか顔が赤いんじゃない?まんざら嘘でもないのか?」
スレイはしゃがんだまま、面白そうにジョウを見上げた。
「ま、分からないでもない。アリエスは美人だ。それに……」
脛をさすりながら、ゆっくり立ち上がる。
「なんだよ」
「ユリアに何となく雰囲気が似てる、って。母ちゃんが前に言ってたよ」
ジョウはちょっと驚いたように目を見開いた。が、すぐにニットキャップを目深にかぶる。
「知らないよ。母さんのことなんて、覚えてない」
スレイが少しとまどったように、黙る。

「アリエスはお節介なんだ。マディ婆とも仲良くて、よく家に遊びに来る。でも、すぐに飽きるよ」
ジョウが珍しく言い訳がましく答えた。
スレイが苦笑いし、ふと気づいたように言った。
「おまえ、最近そのニット帽ずっとかぶってんな」
「……頭の怪我が多いんだ」ジョウが仏頂面のまま答えた。


ふたりはどちらからとも無くガウス撃ちを止めて、家路についていた。
辺りはすでにグレイの帳が降り、空には深い藍色が広がってゆく。
「おまえ、来年から親父さんの船に乗るんだって?」
「ああ。やっと宇宙に出れる」
ジョウは大切な宝物を確かめるように、そっと左手首を触れた。銀色に光るクロノメーター。
スレイがちらり、と羨まし気な視線を投げる。
「おまえクラッシャーの必須科目は断然トップだもんな。俺ってば、まだスクールの最終単位数までいかないからなあ。いつ、宇宙に出れんのかなあ」
自嘲気味にぼやく。ジョウが肩をすくめて答えた。
「俺も言語学の単位落としたぜ。でも次の試験で絶対取り返す」
黒髪の少年は小さな拳を握り、夜空を仰いだ。
「はやく、あの宇宙<そら>を駆けまわりたいんだ」
漆黒の瞳を輝かす。「言語学なんかに、かまってられるか」

最後の呟きにブラウンの髪の少年は、噴き出した。
そして、同じく星が光り始めた夜空を見上げる。
「そうだな。クラッシャーの舞台はあそこだ。こんな地べたでぐずぐずしてなんて、いられない」
「先に行って、待っててやるよ。今度はあそこが俺たちの遊び場だ」
ふたりの少年はお互いの顔を見てにやりと笑い、そして競争するように家に向かって駆け出した。







クリスマスの前日は静かな一日だった。
マディ婆が部屋の掃除を終え、簡単な食事を作った。
孫達が集まるのでぜひに家に来るようにジョウを誘ったが、今年は断った。
生来独りで育ってきたせいか、あまり多くの人が会する場所を嫌うジョウだった。
彼の性格をよく知っているマディ婆はしつこくは誘わず、小さな少年の頬にキスをして、よいクリスマスを、と言って帰って行った。

陽が落ちてから、ジョウは独りで夕食をとった。
壁に嵌め込まれたスクリーンには、銀河系の様々な場所で今宵催されているクリスマス・イベントが映されていた。

 父親が小さな娘を肩ぐるまして人混みを縫うように歩く。
 母親は寒そうに頬を赤くした息子の手をひき、はぐれないように言い聞かせる。
 着飾った男女が大きなツリーの前で寒そうに寄り添い、お互いの肩にもたれかかる。

ジョウはつまらなそうにチャンネルを回した。クリスマス・キャロルのムービーが放映されている。
ハミングバードがやってきて就寝の時間を告げたが、うるさいのでスイッチを切ってしまった。
ソファに寝転がり、マディ婆が焼いて置いていったケーキを食べながらジョウはぼんやりスクリーンを見続けた。そしていつしか、緩やかな眠りに落ちていた。

傍に置いていたリモコンが落ちる音で、目が覚めた。
スクリーンからは教会からの中継で聖歌隊の歌声が聞こえていた。
はっとして、時計を見ると12時少し前。
「やべえ。早く水をかけないと、つららが出来ないや」
慌てて、玄関から外に出る。あまりの寒さに身震いした。
アラミスも他の惑星と同じく、気象管理局がウェザーコントロールしている。
しかし担当者の好みなのか、アラミスの冬は他の惑星より厳しい気がした。氷点下10度近く下がる日も多いし、雪もよく降る。
もちろん、このイヴの夜はセオリー通り粉雪が舞っていた。
かなり早くから降らしはじめたのか、すでに10センチ近くの積雪があった。

庭先にある水遣りのホースを手に取ったジョウは、顔をしかめた。
ホースの水抜きをしていなかった為、中の水がカチカチに凍っていた。これではモミの木に水を放水できない。
ジョウは困ったように、雪の舞う夜空に伸びるモミの木を見上げた。
6メートル弱のその樹木はのびやかに枝を四方に伸ばしている。そのてっぺんは2階の窓より幾分上にあった。
(屋根から水をかけるしかないか……)

自分の家の屋根に登ることなど、ジョウには難しいことではなかった。
注意する人もいない家では、どんな危険な遊びも思いのままだ。
ジョウはいくつかのバケツに水をいっぱいにして、2階の窓辺に運んだ。
玄関アーチの屋根を利用して2階の屋根に登り、括りつけておいたバケツを引っ張りあげた。
眼下に見えるモミの木のてっぺんに勢いよくぶちまける。
モミのわさわさとした枝が左右上下に揺れて、面白かった。この水をたっぷり吸った葉は翌朝には凍り、余分な水はつららとなって、この樹木をきらきらと飾るオーナメントとなってくれる筈だ。
寒さも忘れて、ジョウは何杯目かの水をかけようとバケツに紐を括り、また屋根に登った。

と、その時。
雪で濡れていた屋根がジョウの足を滑らした。
咄嗟にモミの木の枝を掴もうとしたが、柔らかい枝が災いしてジョウの手をすり抜けていった。
ジョウの体は樹木の少し離れたところに落下した。
降り積もった雪のせいで、くぐもった鈍い音がしただけであった。

動かない小さな身体を暗い夜空から舞い落ちてくる雪がすぐに覆い、見えなくしてしまった。
あたり一面の白い世界がすべての音を消し去り、ほのかに光る雪だけがゆっくりと螺旋を描きながら、聖夜の闇に降り続いた。







ジョウは気がつくと、あたり一面がほの白く光る世界に居た。
しかし、それはさっきまで降り続いていた雪の世界とは違う。
なにかぼんやりと光る、しかし目を細めるほど眩しくはない空間にひとり、佇んでいた。

誰かの声が聞こえたような気がした。
ジョウは着ているセーターの裾がひっぱられているのを感じて下を向いた。
彼の膝元でひとりの黒髪の男の子が、大きな碧い瞳でジョウを見上げていた。
その碧い瞳に何故か見覚えがあって、ジョウは首をかしげる。
「どうした?」
ジョウは男の子の目線に合わせようと、しゃがみ込んだ。
と、いきなり眩暈が襲う。いや、周りの景色が揺れたのか。

気がつくと、男の子はもう居なかった。
少し離れたところで、女性の声がした。
ジョウが振り向くと、先ほどの男の子が女性に手を引かれて歩き出そうとしていた。
男の子は名残おしそうに振り返り、ジョウの方を見ている。
すらりとした女性は長い黒髪をふわりとなびかせ、手を引く男の子を見た。
その横顔は、アリエスだった。
ジョウは何故か、無性にふたりについて行きたくなった。
居てもたってもいられず、ふたりに向かって歩き出す。

「だめよ。ジョウ」
涼やかな声が、しかし有無を言わせぬ口調で厳しく言った。
ジョウの足が思わず、止まる。
「来てはだめよ。戻りなさい」
アリエスが顔をわずかに向けて、静かに諭すように言った。
その瞳は見慣れたアリエスの碧い色ではなく、夜のような漆黒だった。


「意識が戻ったようです」
男性の低く、ひそめた声が聞こえた。
ジョウは鉛のように重くなった瞼をゆっくりと持ち上げる。
とても長い時間がかかったような気がした。
ようやく開けた視界はとても眩しく、また一瞬目を閉じる。
「ジョウ」
また名前が呼ばれた。女性の声だ。しかし、さっきの声とは違うようだった。
今度はすんなり瞼が開き、瞳を動かしてみた。
視界の中に、碧い瞳に涙をいっぱいためた、アリエスの姿が入ってきた。
「体温もほとんど正常に戻ったね。もう大丈夫」
アリエスの後ろから四十前後の眼鏡をかけたドクターが覗き込んでいた。
ドクターは優しく、しかし少し呆れ気味に笑って言葉を続けた。
「しかし、ロックアイスみたいになって運ばれてきた時はどうなるかと思ったよ。丈夫に産んでくれたお母さんに感謝だな。これからはこんな雪の日に屋根なんかに登って遊んじゃ、いかんよ」
どうやら、アリエスを母親と思っているらしかった。
「ここは夜勤の看護婦もいます。お母様はご自宅にお帰りになっても大丈夫ですよ」
「いいえ」
アリエスはドクターを見上げ、きっぱりと言った。
「今晩はこの子とずっと、一緒に居ます」
そうですな、と言うようにドクターは優しく笑って頷き、幾つかの注意点を指示した後、病室を出て行った。

「ジョウ……」
上体を屈め、アリエスが細い指でジョウの柔らかい前髪を優しくかきあげる。
そのままジョウの頬に手を置いたところで、動作が止まる。
「ごめんなさい。私が……つららのツリーを楽しみにしてたから」
声を抑えるように、左手で口元を覆う。
「あなた、あんな雪の中、屋根に登って……」後は言葉にならなかった。
堰を切ったように碧い瞳から涙がこぼれる。
ジョウに覆い被さるようにベットに身を伏せて、アリエスは嗚咽を漏らした。


はじめに気付いたのは、バトラーだった。
夜中に吠え続けるレトリバーを叱るために、アリエスは庭先に出た。
しかし、異常に興奮しているバトラーはアリエスが小屋に入れてしまおうと画策している隙に、道路に飛び出して行ってしまった。
あわてて追うアリエスは、ひとつ先のブロックにある家にバトラーが駆け込んで行くのを見た。
(あれは……)
つっかけてきたガーデン用のブーツで足元が滑る。何度も転びかけながら、アリエスはジョウの家に辿り着いた。
「バトラー!」飼い犬の名を声をひそめて、呼ぶ。
しかし深夜にもかかわらず、ジョウの家には灯りが点っていた。
(まだ起きてるのかしら?)
バトラーが近くのモミの木の傍で、懸命に何かを脚で触っている。
アリエスは走り寄って、その小さな雪が積もった塊を覗き込んだ。
紺色のセーターが見える。あわてて積もった雪を払い、凍っている黒髪の小さな頭を両手で膝の上に持ち上げた。
――ジョウは起きてはいなかった。そして、氷のように冷たくなっていた。







「もし、あなたがこのまま目を覚まさなかったら……」
アリエスの細い指が白いシーツを掴む。
「もし、またこの日に天使があなたを連れて行ってしまったら、わたし……」
それ以上何も言えず、アリエスは唇を噛み締めた。

ジョウの小さな手がアリエスの雪で濡れた黒髪をそっと撫でた。
「ルカに会ったよ」
身を伏せた姿勢のまま、アリエスは動きを止めた。ゆっくりと泣きはらした顔を上げる。
「今、なんて?」
ジョウはぼんやりと天井を向いたまま、呟くように言った。
「小さな男の子と会った。俺のセーターをひっぱって、一緒に遊びたそうだった」
そして、ゆっくりとアリエスの方に顔を向ける。
「アリエスと同じ、碧い瞳をしてた」

しばらくの間、アリエスはじっとジョウを見つめていた。
そして突然、両手で口元を覆い、再びはらはらと涙をこぼし始める。ジョウはあわてて、言葉を継いだ。
「でも、ひとりじゃなかったよ」
「ほんとう?」
ジョウが頷くと、アリエスは涙をこぼしながらも、少し安心したように肩を落とした。
(そう、ひとりじゃなかった。手を引いてた女の人……あれは)
「元気そうだった?」
アリエスが身を乗り出して訊いてきたので、ジョウは想いは遮られた。
「う、うん。たぶん。でも……」
「でも?」
「もしかしたら、遊び相手が居ないのかも」
ジョウは自分のセーターをひっぱっていた小さな手と、名残惜しそうに振り返る碧い瞳を思い浮かべた。
「ルカはきっと、弟や妹が欲しいんだ」
突然のジョウの言葉にアリエスは目を瞠る。そして少し困ったように眉を寄せた。
「でも、もうそんな……勇気がないの」
また失ってしまうかも知れない、それが怖い。そうアリエスは自分のなかで呟いた。
「そんなの、だめだ」
ジョウが黒い瞳を強く光らせて言う。
「アリエスは元気に生きてる。生きてるヤツがそんな弱いこと言ってちゃ、だめだ」
小さな手が、自分の頬に置かれたアリエスの手に触れる。
「ルカが天国から見ていても楽しくなるくらい、家族をいっぱいにしてよ」

ジョウの言葉にアリエスが思わず、小さく笑う。
「そんな簡単に言われても……。ガーベイの休暇次第よ」ちょっと頬を赤らめながら言う。
ジョウがきょとんとしている様も、また可笑しかった。

――弟や妹が欲しいのは本当はこの子かも知れない。
アリエスはふと、そう思った。

 楽しくなるくらいのいっぱいの家族。
 厳格な父。優しい母。そしてふざけ合う兄弟たち。
 家族が同じ食卓を囲み、毎日顔を見合わせて笑う――そんなあたりまえの家庭の風景。

人一倍気丈なこの少年は全く寂しいそぶりは見せないし、その強さも自覚していないかもしれない。
しかしその『強さ』は裏返すと、寂しさや人恋しさに押しつぶされない為に、この小さな少年が無意識に身につけてしまったものではないだろうか?







アリエスは突然、寒いから入れてね、と言ってジョウのベッドにするりと入ってきた。
確かに薄着のまま家を飛び出して、彼を病院まで運んだアリエスの身体は冷え切っていた。
ジョウは驚いて起き上がろうとしたが、腕に点滴が繋がっていて身動きができない。
アリエスは肘をついた右手の上に頭をのせ、ジョウの顔を覗き込んだ。
左腕は幼子を守るように、ジョウの身体の上に置く。
ジョウは顔をわずかに赤らめて、そっぽを向いた。

「決めたわ。わたし、赤ちゃんいっぱい産むわ」
嬉しそうに、アリエスは言った。
「そしてジョウにお兄さんになってもらうわ」
「え?」
「生まれてくる子たちも、お兄さんが欲しいと思うのよ。でも、ルカは遠くにいるもの。遊んでもらえないわ」
「で、でも俺、来年から船に乗るし……」
「あら、たまにはアラミスに帰ってくるんでしょ?」
アリエスは悪戯っぽく笑って言う。

「それに……わたしがいつもジョウのことを子供達に話すから大丈夫よ。
『あなた達のお兄さんは腕っこきのクラッシャーでね、宇宙を駆け回ってるの』って。
きっとうちの子のクラスメイトはみんな、羨ましがるわ!
『ええ?あのジョウがおまえの兄貴なの?すっげー!』ってね。
それで私たち、みんなに得意満面であなたの自慢をするのよ」
アリエスが淀みなく話している様を、ジョウは口をぽかんと開けて聞いていた。

そんなことにはおかまいなしに、アリエスは楽しそうに話しを続ける。
「クリスマスの夜は皆であなたの家のモミの木を、つららで飾るわ。もちろん、屋根に登ったりはしないわよ、危ないもの」
アリエスは自分で言って、小さく笑う。
「そして、皆で夜の通りのイルミネーションを見に行くわ。通りの灯りが夜空の星々と溶け合って……それは綺麗よ。そして白い息を吐いている小さな弟や妹達にこう言うの。『あの星々の間には、あなた達のふたりのお兄さんが居るのよ』って」
言葉を連ねながら、アリエスの声がだんだんとかすれてきた。
ジョウが驚いて横を見ると、アリエスの白い頬に涙が一筋、伝っている。
言葉をかけられるのを防ぐかのように、アリエスはジョウの小さな頭を優しく引き寄せた。
「私たち、いつもあなたのことを想ってるわ」
柔らかい癖のある黒髪に頬を当てる。
「だから自分がひとりだなんて、思わないで」


ジョウはいつもの一方的なアリエスの話を、最初は半ば呆れながら聞いていた。
しかし、楽しそうに話しているアリエスの声と落ち着くいい香りに包まれて、だんだんと気持ちが柔らかくなる。
そして最後にアリエスが言った言葉で、何かが急に込み上げてきた。
今までずっと無意識に押さえ続けてきたもの。自分には必要ないと諦めていたもの。
ジョウはあわてて何かが零れてしまわないようにきつく目を閉じ、アリエスの咽元に顔をうずめた。

「十年後のあなたに、会いたいわ」
ジョウの柔らかい黒髪に頬をつけたまま、アリエスがぽつりと言った。
「どんな青年になっているのかしら?」
十年後?と、ジョウは頭の中でぼんやり繰り返した。
彼の生活している環境では、その年頃の青年と接する機会は少ない。
十九歳になっている自分を、ジョウは想像できなかった。

「絶対かっこいい男になってるわ。きっとモテモテよ」
アリエスが想像して嬉しそうに言う。
「どうでもいいよ、そんなこと」
ジョウは頬を赤くしたまま、むっつりと答える。
「俺は仕事だけでいいよ。そんなこと考えている暇なんてない。それにクラッシャーなんて仕事してたら、出会いなんてない、ってマディ婆が言ってたよ」
確かにダンのチームのガンビーノやタロスにしても、男やもめで宇宙を飛び回っている。
「それはよくないわ!」
アリエスは眉をひそめて、きっぱりと言った。
「かっこいいジョウがパートナーも見つけずに、おじさんになるなんて絶対ダメよ!」
ジョウのどんな将来の姿を想像しているかは分からないが、アリエスは何度も首を小さく振って呟く。
「それに……」
まるで子供を寝かしつけるように、左手でジョウの背中を軽く叩く。
「こんなに寂しがりやで意地っ張りなあなたは、彼女がいないとやっていけないわ」

ジョウが口を尖らして何かを言い返そうとするのを遮るように、アリエスは素早くジョウの額にキスをした。
「ア、アリエス……」
目を白黒させている少年のことなど気にせず、碧い瞳がぼんやりと遠くを見る。

「十年後、どんな娘があなたの隣にいるのかしら……」







ジョウはゆっくりと覚醒した。
リビングのダウンライントの光にその漆黒の瞳がさらされる。
思わずもう一度目を閉じ、光の残像が消えるのを待ってからゆっくりと瞼を開く。
ソファの広い背もたれが目に入った。またソファに横になって眠ってしまったらしい。
リビングでデータ整理などの仕事をしていると、よくあることだった。

(それにしても、やけにはっきりした夢だったぜ……)
横になったまま、左手で癖のある前髪を掻きあげる。
一部あやふやなところはあったが、殆ど自分の幼い頃の出来事だった。
すっかり忘れていた事なのに、今頃なぜ?
ジョウはふと、思い当たった。数日前にスレイと久しぶりに話したからだな。
ひとり苦笑して起き上がろうとした時、急に悪寒が襲った。
(何もかけないで、うたた寝していたからか?)
ジョウのその考えは甘かった。


アルフィンはキッチンへ向かおうと廊下に出たところで、リビングのライトがつけっぱなしになっているのに気付いた。
(ジョウかしら……?)
スライドしたドアを抜けて、静かに室内へ入る。
そこには予想通り、ジョウが居た。
テーブルの上にはPCと幾枚かの書類が散らばっている。
彼はソファの上に背もたれに向かう格好で眠っていた。腕を胸の前で組み、窮屈そうに脚を曲げている。
立てばすらりと長身なジョウが、子供のように少し丸まって寝息をたてている様は、少し可笑しかった。
(仕事の時はあんなに厳しい顔をしてるのに。か、可愛い……)
アルフィンは細い指を口元にあて、こみあげてくる笑いを堪えた。

近くのクロゼットからブランケットを取り出した。
彼の大きな背中からかけてあげようと、両手に広げる。
その時、ジョウが何か呟きながら上体を動かした。
アルフィンは一瞬息をひそめる。そしてゆっくりとジョウの顔を覗き込んだ。
眠っているせいか、わずかに頬が赤い。

(誰の夢をみているのかしら……)
――わたしのことだったら、いいのに。
そう思ってアルフィンはひとり恥ずかしそうに、微笑んだ。
と、その考えが通じたかのように、ジョウの口から今度ははっきりと言葉が漏れる。
「あ……」
「ア?」完全にアルフィンの頭の中では、その語から始まる言葉(名前?)に変換されている。
碧い瞳を輝かせ、彼女は次の言葉を待った。


「アリエス……」







人の気配を感じてジョウはソファに横になったまま、ゆっくりと肩越しに後ろを振り返った。
クリーム色のブランケットを握り締めている白い手が見えた。
そのまま視線を上にあげる。アルフィンが立っていた。

(ああ。あの碧い瞳、どこかで見たことがあると思ったら……)
ぼんやりそんなことを考えていたジョウは、急に我に返った。
何故なら、眼前にある碧眼は冷たく激しい炎のように揺らめき、ジョウを睨んでいたからだった。

いつもの寝起きからは考えられない素早さで、ジョウは跳ね起きた。
頭の芯が信じられないほど急速に覚醒してゆく。
「え……と、アルフィン」
目の前に立つ殺気溢れる少女に向かい、ジョウはなんとなくひきつった笑いを浮かべて話しかけた。
「どうしたんだい?」

しばらく黙ったまま、燃える双眸でジョウを睨み上げていたアルフィンがようやく口を開く。
「……たのよ?」
「え?」
「なんの夢を……見てたのよ?」
地獄の底から聞こえるかと思うほど、低く押し殺した声で訊く。
身の危険を感じたジョウは、あわてて答えた。
「ああ。何か、見てた気がする。けど、もうよく覚えてないなあ」
自分でも胡散臭い答えだ、と思いながらも曖昧に笑った。

――次の瞬間。アルフィンの手が一閃した。
「ってえ」
ずば抜けた反射神経のジョウもよけきれない、アルフィンの平手打ちだ。
しかし、そんなことぐらいでは彼女の怒りはおさまらず、手に持っていたブランケットも投げつける。
「なんだよ!」
ジョウもいきなりの攻撃に声を荒げた。
「誰よ!」
アルフィンはそんな声に動じることなく、鋭く言い放った。燃える碧い瞳にみるみる涙が盛り上がる。
「誰なのよ!?アリエスって!」


ジョウは咄嗟に何も言えず、黙り込んだ。
そこで上手くはぐらかせるような器用さを、彼は持ち合わせていなかった。
自分は何か、寝言で言ったのか?そう言えば最後、アリエスの名前を呼んだような……。
黙っているという事は、その事実を認めたということだった。
「あたしの知らないところで……」
悔しくて涙がぽろぽろと零れ落ちる。
ジョウはアルフィンの涙が苦手だった。このまま泣き崩れるのか?近づこうと一歩前に足を踏み出した。
が、しかしジョウの右足がマットに沈む前に、手近にあったマグカップが飛んできた。
「うわっ」
「ばかっ!女ったらし!」
アルフィンは愁傷に泣き崩れたりなどせず、猛然と攻撃に転じていた。
目にも止まらぬ速さで、次々とテーブルの上にあるものを投げつける。
「やめろ!ち、ちょっと、俺の話も聞け!」
ジョウが両腕で頭を庇い、上体を低くしながら喚いた。
「言い訳なんか、聞きたくもないわ!」
アルフィンは碧眼から流れる涙を拭おうともせず、テーブルサイドに積んであるニュースパックの山に手を伸ばした。

(アリエス。十年後、俺の隣に居る娘はこんなんだぜ……)
ジョウは次々と飛んでくるものを避けながら、苦笑いして呟く。
彼の脳裏に浮かんだアリエスの碧い瞳が、悪戯っぽく笑った気がした。

――その瞬間。
真鍮製のフロアスタンドがジョウの側頭部を直撃した。



<END>




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