〜旅立つ時U〜



 ――ショックだった。
いや、それよりも先に猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきた。
だが、彼の言うとおりだ。
シェフしかしたことのない、ケンカでさえ避けて通ってきた自分が、彼を助けるだと?この特A級の凄腕のクラッシャーを?
なんて、おこがましいんだ。

「ジョウ」
少女が咎めるように名前を呼んだ。
しかし、それを遮るように彼は続ける。
「はっきり言って迷惑だ。このドンパチは仕事じゃあないし、あんたはクライアントでもない。つまり、俺達にあんたを助ける義務はない」
そう言うが早いか、彼は窺っていたテーブルの陰から一瞬、上体を出して銃を一連射した。
間髪おかず、流れるような動作で再びテーブルの陰へと身を沈める。
そしておもむろに残弾を確認しながら、目もあげずに言葉を続けた。

「逃げるヒマはあったはずだ。テロリスト達も一般人は殺しはしない。それをわざわざあんたは火中に飛び込んできた。俺達だって丸腰のうえに、この状況だ。正直、あんたを守る余裕はないぜ」
「ジョウ、そんな言い方って……」
再度、少女が言いかけたが、自分が今度はそれを遮った。
「いいえ」
自分は喉元を押さえたまま、ゆっくりと面をあげた。
「あなたが仰るとおりです、クラッシャージョウ」

名を呼ばれて、彼は一瞬身構えた。
が、今回の仕事で彼の名はかなり広まっており、今までも街で声をかけられたこともあったのだろう、すぐに緊張を解いた。
「自分が浅はかでした。襲撃前に、偶然やつらがあなた方を狙っていることを聞いてしまって、居ても立ってもいられなくなった。自分がなんとかしなくては、と思った」
何かわからないものがこみ上げてきて、自分は熱にうかされているかのように言葉を続けた。
「確かに思い上がりだと思います。正義感とか、そういう安直なものでもなかった。
けれど……自分はこの店のスタッフです。お客様に旨いものを食べてもらい、食事のひと時を楽しんでもうらことが自分の仕事です。その時間が無残にも破られ、サーブしていたお客様が危険な目に遭っている。あなたは自分の”仕事中”にそんな状況になったら、どうしますか?」
「なに?」
急に問いかけられて、彼は少しうろたえた。

「――あの時のように。
あのアステロイドファクトリーで数百人もの人を命がけで救い出したように……あなたは何があろうとも、自分の”仕事”を完遂するのではないのですか?」







 本当は少し、違った。
確かにスタッフとして客を助けなければ、という気持ちはある。
けれども実際にこんな思いもかけない状況(いきなり店が爆破されてメチャクチャだ!)の時に、それが出来るかどうかなんて正直、今日まで考えたこともなかった。
なんの予告も無く、いきなりこんな大惨事になったら……たぶん自分は真っ先に逃げ出していたかもしれない。
だが、今回は偶然にも事前に計画を聞き、狙いが彼らだということを知ってしまった。

――あなたを、どうしても死なせるわけにはいかない。
そんな不気味なこと(!)口が裂けても言えるはずがない。
だから、彼が納得しやすい方向で咄嗟に話を持っていったんだ。

「昨年のあの大事故……」
少女がはっとして、彼の方を見た。
「そんな仕事も、あったな」
彼もその時の厳しい状況を再び思い出したのか、苦々しく呟いた。
そしてゆっくりと、自分の方へ顔を向ける。
「俺達を助けるのも……自分の仕事だと?」
自分は僅かに、顎をひいて応えた。
「レストランのスタッフも大変だな」
彼はひとつ、ため息をついた。

「まだ若そうだが……いくつだ?」
「先月、20になりました」
「あら、ジョウと同い年じゃない!一ヶ月お兄さんね」
彼が何か言うよりも早く、少女が答えた。またこの状況に似つかわしくない、はしゃぎ様だ。
「同級か……落ち着いてるから、もっと上かと思ったぜ」
「あなたこそ。じゃあ、あの仕事をしていた時は10代だったのですか?」
自分が驚きの声をあげたことに、彼は薄く笑って答えた。
「歳なんか関係ないさ。10歳からこの世界に居る。キャリアはそれなりに積んでる」

同い年と分かって、少し気持ちがほぐれたのだろうか。
彼は目を伏せ気味にして、すまなそうに切り出した。
「その…悪かった。少し、言い過ぎたようだ。オフの時にこんな無様に襲撃されて、ちょっと気が立っていたみたいだ」
そのちょっとためらいがちな、けれど素直に詫びる姿はまるで少年のようで、さっきまでの鋭い刃のような彼とは全く対照的だった。

「ヘンだな……やけに静かになったぜ」
彼が訝しげに店の入り口の方を窺った。
その間に少女は腰が抜けている自分に手をかして、身体を起こしてくれた。
「店の内部に詳しい人が居てくれると助かるわ。なんかこう、絶好の抜け道とか無いの?」
「え?」
少女はさきほどの通路で会った時と変わらない、天使のような笑顔で言った。
「ほら、よく映画でもあるじゃない?壁の一部を押すとひっくり返って秘密の部屋へ行けるとか、暖炉の奥に通路が通じていて外に脱出できるとか……」
少女の能天気な質問を、彼があきれたように遮った。
「……アルフィン」
「ああ、あります」
自分はあっさり、答えた。
「は?」
「ほんと!?」
彼と彼女があわてて身を乗り出した。

――その時だった。
かつん、と音がして何かが転がってきた。
「手榴弾か!?」
彼が目にもとまらぬ速さで拾い上げ、投げ返す。
しかし、続けざまに数個が投げ込まれてきた。
「ちがう、催涙弾だ!」
「うそ!」
少女がちいさく叫ぶ。
「手で鼻と口を覆え、絶対に吸い込むな!」
自分は持っていたコックコートで鼻と口を覆った。
そして、咄嗟に思いついて叫んだ。
「はやく、あの後ろの暖炉の中へ!」







 自分たち三人は咄嗟にマントルピースの中へ飛び込んだ。

体当たりして奥の扉を押し開き、先へ続く通路に転がり込む。
後ろから少女が押し込まれ、彼が最後に扉を閉めたのがわかった。
はじめて入る場所だろうに、彼の行動は驚くほど素早かった。
「どこへ続いてる?抜けられるのか?」
闇の中で的確な質問が飛ぶ。
コックコートで口を押さえていたにもかかわらず、自分だけが催涙弾の煙を少し吸い込んだのだろう。涙と鼻水が止まらない。
咳き込みながらも、自分はなんとか答えた。
「ち、地下のカーヴへと、つながっています……」
「カーヴ?」
「ワインの貯蔵庫のことでしょう?」
激しく咳き込む自分の背中をさすりながら、少女が答えた。
「大丈夫?」
「は、はい」
「歩けるか?」
彼が後ろの扉の方へ意識を集中しているのが、わかった。
たいしたからくりがある訳でもない扉だ。見つかったら追手がすぐ来る。
「天井が…低いので腰を低くして。両壁に手をつきながら…付いて来てください」
ようやく呼吸がラクになってきた自分は、なんとか言葉を発した。
「わかった。先導を頼む」

移動には、自分が思っていた以上に時間がかかった。
何度かこの道を通ったことはあったが、その時はハンドライトを点けて視界もはっきりしていた。
暗闇の中の移動がこんなに不安で、足元をおぼつかなくするとは。 暗い通路が何処までも続いている気がしてきて、自分は本当にこの道で合っているのかさえ、分からなくなってきた。

「数メートル先に扉が見える。カーヴの入り口か?」
彼が低い声で言った。
自分は驚いて暗闇の中で、目を凝らした。だが、周りは濃密な闇で何も見えはしない。
焦って、脚がもつれた。
バランスを崩して伸ばした指先が、何かに当る。
――扉だ。カーブへの入り口。
記憶を辿って、閂(かんぬき)になっている錠を横へとスライドさせた。
出たのはカーヴの中ほどにある掃除用具などを入れてある小部屋だった。
相変わらず真っ暗な小部屋から、手探りでカーブへと続く扉を開く。
カーヴには非常灯が点いていた。
その足元の灯りを頼りに自分が壁づたいに移動し、照明のスイッチをオンにした。
淡く暗い照明がカーヴ内に灯る。
ワインの熟成を妨げないため、光度は低い方がいい。

「意外と広いな……」
彼が低い天井を仰ぎながら、言った。
「やだ、ヒールが折れちゃったわ」
少女がすらりと伸びた足を後ろに跳ね上げ、踵から小さな靴を外した。
「ケガは、無いか?」
彼がすぐに跪き、彼女の華奢な足に触れる。
「うん、大丈夫」
少女はすこし頬を染めて、嬉しそうに答えた。

そんな光景をぼんやりと眺めていると、顔をあげた少女が目を丸くして言った。
「あなた、ひどい顔してるわ」
あわてて手の甲で顔を拭った。
手に真っ黒い煤のようなものが付いた。マントルピースに飛び込んだ時に付いたのだろうか。

「あなた方だって……とてもうちに来るお客様には見えません」
自分が負けじとやり返した言葉に、彼と彼女はあらためて自分達の格好を確認した。
上着を脱いだ彼のシャツは煤で汚れ、袖の一部が破れていた。ダークな色のスラックスもところどころ、真っ白だった。
彼女にいたっては、シンプルなシルクと思われる薄い色のワンピースが、無残にも煤けている。細い金髪は乱れて、バラバラと白い頬や首にまとわりついていた。
「ちがいない」
「ほんと、ひどすぎるわ。あたし達」
お互い顔を見合わせて、三人はひとしきり笑った。







 「やっぱり、クラッシュジャケットを着てくるべきだったな」
破れた袖口を巻き上げながら、彼がぼやいた。
「冗談でしょ!こんな二つ星のレストランにあんなの着てこれないわ!」
「クラッシャーはあれが正装だ」
「んもう!相変わらず、ムードも何もないんだから」
少女が怒ってぷい、と向いた横顔に彼は笑って肩をすくめた。

「……で?このカーヴはどこかに抜けられるのか?」
あたりを注意深く見回していた彼が自分に訊いた。
「それが……」
自分はためらいながら、言葉を続けた。
「ここに入ってくる入り口は基本的に一箇所です。エントランス入り口脇にある階段からここへ繋がっています」
「そこから上へあがっても、間違いなく敵が居るワケだ」
「おそらく」
「また……あの通路を通ってホールに戻る?」
少女が今出てきた小部屋の方を振り返った。
「それもダメだ。やつらは俺達が消えたあたりを重点的に探しているだろう。鉢合わせして、終わりだ」
彼がかぶりを振って答える。
「逃げたつもりが、行き止まりの袋小路ってワケね?」
「……すみません」
自分が提案してここまで連れてきたが、この先の逃げ道がない。

「しかたないさ。大概、ワインの貯蔵庫なんてそんなもんだろ?あのマントルピースからの通路があっただけでも儲けもんだ」
「ここは……」
自分は教えてもらったオーナーの言葉を思い出した。
「最初に入植してきたテラのフランス系移民が、この惑星でワインを作り始めたそうです。なだらかな標高差のある丘、朝晩の気温の下がり方がとてもテラのワイン産地と似ていたようです。ここはこの大陸で最初に出来たワインの醸造所でした。
醸造所は地下に大きなカーヴを備え、その秋に絞った新しいワインを多くの客に振舞う場所で、それに合う料理を出すようになったのがこの店の前身です」
「とても由緒ある場所なのね」
「ふうん、ただのボロい建物じゃないんだな」
ふたりは、しげしげとあたりの石壁を見回した。
「いちおう、文化財指定を受けているのですよ。改修するのも許可が要ります」
自分がいささかむっとして答えた言葉に、彼はにやりとして答えた。
「わかってるよ。そのお陰でやつらも重火器が使えないんだろう。文化財指定を気にしているとは思わないが、この石を積み上げただけの建物だ。ヘタなことをしようものならあっという間に崩れて、自分たちもぺしゃんこだ」
そういえば……そんなことを不審者の二人が話していたな、と今更ながらに思い出した。

「その時の醸造所のオーナーがあの通路を作ったの?」
「いいえ、作ったのはその友人から譲り受けた先代です。とてもワイン好きな人で、厨房の者に気付かれないように、こっそりお気に入りのワインを持ち出すのに……わざわざあの通路を作ったそうです」
「すごい執念ねェ」
少女がその碧い瞳をまるくした。
「そのおかげで俺達がこうして逃げられた」
「まだ逃げてないわよ」

その時、カーヴの入り口からかすかな物音がした。
咄嗟に身を低くするふたり。自分もあわててオーク樽の陰に隠れた。
「まったくだ。逃げるどころか、追いつめられた可能性もある」
彼が舌打ちして、言った。
「どうすんの?」
「しかたないな、もう一度あの通路に戻ろう。ホールに戻るかどうかは、様子を見てから考える」
彼の言葉に自分たち三人は再び、あの小部屋の前に移動した。
ドアノブに手をかけようとしたその時。

――いきなり、ドアが引き開けられた。







 その後の彼の行動は信じられないほど、素早かった。
今まさにドアノブに手をかけようとしていた自分を引きずり倒し、後ろの少女を庇った。
床に仰向けに倒れた自分は、隣で両手をついて体勢を立て直す少女の姿しか見えなかった。
次の瞬間、鈍い音と共に上から人影が降ってきた。
「げっ」
思わず、カエルが潰れたような呻き声が出る。仰向けに倒れている自分の上に大きな男が倒れてきたのだ。
銃の連射音が響いた。
「アルフィン、やつの銃を取れ!」
彼の鋭い一言に反応して、少女が自分の上に乗っている大男から銃をもぎとった。
間髪おかず、彼女も銃をぶっぱなす。
自分は体勢が悪いのか、なかなか大男の下から出ることができずに無様にもがいていた。

銃撃音が一瞬、止んだ。
彼が自分の上に乗っていた大男を蹴り落とした。
「た、助かっ……」
「こっちだ!」
自分が息もたえだえに礼を言う間もなく、腕を掴まれてオーク樽の並びへと連れ込まれる。
「な、なに……」
「しっ」
ぐい、と頭を押さえつけられたまま引きずられて、そのままオーク樽の並びをどんどん移動する。

誰何の声が響いた。
カーヴの入り口から降りてきた奴らだろう。今の銃撃で小部屋付近に集まってきている。
「何人いる?」
彼がひとつの大樽の陰で動きを止め、少女に訊いた。
「……あたしから見えるのは3人よ」
「同人数か……。立てるか?」
彼の言葉に自分は慌てて膝をついて、上体を起こした。
「銃も手に入ったことだし、いっちょ反撃に出るか」
残りの弾倉を確認しながら、彼がつぶやいた。
「ええ?じ、冗談ですよね?」
自分は耳を疑って訊き返した。
「なにが?」
「な、なにがって……」
自分は目を白黒させて、訴えた。
「今だってやっとここまで逃げ延びてきたんじゃないですか!あんなプロの殺し屋みたいなやつら相手にこの人数で、敵いっこない。幸いにも武器が手に入ったんだ。さっさと逃げ道を確保して外に出た方がいい」
「クラッシャーは冗談は言わない」
ホントかウソか知らないが、彼は大真面目な顔で言った。
「”攻撃は最大の防御”って、フットボールの時間に言われなかったか?」
いつもは鋭い目が笑っていた。
――そう、まるでゲームを楽しんでいる子供みたいに。

「別に無計画に反撃に出るワケでもないぜ。あの3人を避けて入口に向かったとしても階段で待ち伏せされている可能性は充分ある。あの小部屋からの通路も安全とは言えない今、何処を逃げ道として確保する?
そんなハッキリしないものを探すより、この見通しの悪い空間で一人ずつ片付けて減らしてゆくことの方がより現実的だと思わないか?」

初めてのこんな状況下で、自分にはとてもそうとは思えなかった。
「む、無理ですよ。駐車場には何台も怪しい車が停まっていた。やつらは耳にマイクを仕込んで連絡を取り合っている。人数も、もっと増えているかもしれないじゃないですか……」
「意外とマイナス思考だなァ」
彼は笑いながら、顔を前に向けた。
「しかし、結構ちゃんと敵の状況を把握してるじゃないか。人数は10人前後だっただろう。今まで5人は倒した。て、ことはあと半分か……」
「ジョウ!ひとり、近づいてくるわ」
ずっと前方の様子を窺っていた少女が、鋭く言った。
「銃を使わず、やる。こいつを連れて一列下がってろ」
「動ける?」
返答を待たずに、少女は自分の腕を掴んで後ずさり始めた。

いくつも並んでいるオーク樽の間を移動する。
一列下がった並びの試飲用のテーブルの陰で、少女と自分は身を低くして潜んだ。
床に手をつくと、樽のラックの間から近づいてくる敵の足が見えた。
ゆっくりと慎重に、靴音もたてずに移動している。
突然、その足が止まった。
そして鈍い音がした次の瞬間、敵の身体が崩おれて床に転がっていた。

「……すごい」
自分が思わず呟いた言葉に、少女が得意気に応えた。
「ジョウの格闘技はピカ一よ。後ろから頚部を一撃、ひとたまりもないわ」
また、可愛い顔をしてぶっそうなことを言った。







 「銃が増えたぜ」
彼は息ひとつ、乱さずに戻ってきた。
「扱えるか?」
目の前に出された銃身を見て、自分は力なく首を横に振った。
「撃ったことはありますが、とても使いこなすまでは……」
「こっちの方が扱いやすい」
彼は今まで使っていた銃の方をよこした。
「ここでオートとマニュアルの切り替えが出来る。使い慣れてないならフルオートにしておけ。丸腰よりいい」
いつもはクッキングナイフを持っている手に銃が渡された。

じっと手元を眺めている自分に彼はもう一言付け足した。
「いいか。別に積極的に撃たなくてもいい。ただ、自分の身が危ういと思ったら、迷わず引き金を引け。今日は一瞬のためらいが命取りになる、ぜ!」
その言葉が終わらないうちに、彼が自分に体当たりしてきた。
たまらず、再び樽のラックの間に転がる。
すると今まで自分の身体が占めていた空間を一条のレーザーが切り裂いた。
「新手か?くそっ、囲まれたか」
膝をつき、身を低くした彼がいまいましげに呟いた。
ラックを挟んだ向かい側から銃声が響いた。素早く移動する金の頭が垣間見える。
「身を低くして、ついて来い!」
そう言うが早いか、彼はラックの間を移動し始めた。あわてて、遅れじと体勢を立て直してついて行く。
「ジョウ」
低い樽の間から、すっと少女が出てきた。
「人数が増えてるわ。少なくとも5人居る」
「ほとんど下に集まって来たか?だが、いずれ囲まれる。あのカーヴの入り口が見えるか?」
彼は少し上体をあげて、先に見える非常灯を指した。あの下がメインの出入り口だった。
「作戦変更だ。なんとか包囲の一角を崩してあそこから上に出る」
「わかったわ」
少女が力強くうなづいた。
「む、無理だ。上にだって、新手のやつらがきっと待ち伏せしてる」
自分が少しうわずった声で言った。
両手で銃を握り締めているが、どうしても震えが止まらない。

「ちょっと、あンた!何を今更ごちゃごちゃ言ってンの!?このままここで死体になって床に転がりたいワケ?」
あからさまにいらついた口調で、少女が言った。







 まるで平手打ちをくらったようだった。

陶器のように白い頬や細い首に金の髪がまとわりつき、自分を睨みつける碧い瞳がこの薄暗いカーヴの中で燃え上がる。凄まじいほど、美しい。
身体の震えは戦闘の恐怖からくるものなのか、それともこの少女の凄みのある美しさからくるものなのか、もう自分にはわからなかった。
――そうなんだ。
この少女はこんな華奢な身体をして、この銃撃戦の中闘っている。
少女の口元にはあのディナーの最中のような優雅な微笑みは、もうどこにも無かった。
代わりにこの張り詰めた緊張を保つためなのだろう、やわらかそうな唇をキツつく結んでいる。
いつもこの少女はこんな修羅場で闘っているのだ、と素直にそう思った。
自分は度重なる緊張の連続と、少女から激しくぶつけられた感情に、頭がクラクラしそうだった。

「アルフィン」
その時、彼が落ち着いた声で言った。
「肩の力を抜いて」
彼の大きな手が、そっと少女の肩に触れた。
すると、それが合図のように少女の身体はふっと弛緩し、長い睫をゆっくりと閉じた。
そして倒れこむように、彼の腕に身体をあずける。
「すまない。彼女もギリギリで闘ってるんだ」
少女の身体を支えながらも辺りへの鋭い視線を怠らず、彼は続けた。
「いつもなら防弾耐熱のユニフォームを着ているし、武器も持っている。しかし今日は丸腰のうえにこの格好だ。一瞬たりとも気の抜けない状況が長時間続いている」
言葉を続けながら、彼は軽く顎をしゃくった。ついてこいという仕草だ。
彼はぐったりとした少女を抱えるようにして、身を低くして移動し始めた。自分も慌ててついて行く。

地下カーヴの、広くて薄暗いことが幸いした。
敵の気配はあるが、向こうも慣れない場所での探索に苦労しているのだろう。今のところ出会い頭の銃撃戦、という最悪の状況は回避している。
自分の前を慎重に、しかしながら俊敏な動きで移動する彼の手がすっと上がった。停止の合図だ。
後についていた少女がすぐに反応して止まる。彼女の碧い目は生気を取り戻していた。
「あそこの非常灯の下がカーヴの入り口だ。敵が二人張り付いている」
彼が低い声で囁いた。
「まず俺が先に行く。あの二人を始末したら、一気に上へ行くから入り口まで移動して援護してくれ。上を片付けたら、合図する」
「ジョウ……」
少女が何か言いたそうに口を開きかけた。だが、どうしても言葉が見つからないらしく、もどかしげに目を伏せる。
戦闘のド素人である自分にでさえ、それがどんなに困難な作戦かは充分に想像できた。

「そんな情けない顔、するな」
彼がふっと優しく目を細めて言った。
「今までだってこんなヤバイ状況を何度もくぐり抜けてきた。今回だって上手くやるさ。アルフィンは何も心配しなくていい」
「でも……」
自分は渡された銃を強く握り締めた。

――今だ。今、ここで言わなくてはいけない。
「自分が」
喘ぐように口を開くと、哀しいことに掠れた情けない声しかでなかった。
けれども、自分ははっきりと声に出して言ったんだ。

「自分が、行きます」







 「なんだと?」
彼が驚いた口調で訊き返した。傍らの少女も目を丸くしている。
「自分が、先に上に行きます。だ、だから、援護をお願いします」
声がまた上ずっていて、まるで他人の声を聞いているようだった。
「何を、言ってるんだ?」
「自分はスタッフです。あなたがさっき言ったように、やつらは一般の客やスタッフはまだ見逃してくれるでしょう。
自分が上手くやつらをカーヴへの入り口付近から遠ざけますから、それを待ってあなた方は脱出してください」
「バカを言うな。素人の出る幕じゃあ、ない」
彼は怒ったように言って、前へ視線を戻した。

「あなたに何かあったら、取り返しがつかない」
自分は夢中で言葉を続けた。
「こんな絶望的な状況の中だからこそ、何の役にも立たないような自分が、代わりになるべきなんです。自分は親も兄弟もありません。だから、自分に何かあっても誰も哀しむ者は居ない。でも、あなたは違うんです、クラッシャージョウ」
熱にうかされたようにしゃべり始めた自分を、彼は驚いて見ていた。

「あなたはその若さにもかかわらず、類稀な能力を持っている。その能力によって救われる人たちが、この世の中にはまだまだたくさん居るんです。
これから先、何年、何十年先の未来にだって、人々はあなたを雇い、絶対困難と思われる瀕死の人の救出をあなたに託すでしょう。
なぜなら……それを成し得るのは、あなたのような一握りの『特別』な人間だけなのですから」
そこで何か言いかけた彼を、自分は手で制した。

「自分はあのアステロイドファクトリーの救出劇を見た時に、本当に感動したんです。こんなに鮮やかに、そして何のためらいも無く、あの業火の中に身を投じることが出来る人が居ることに。
あなたは自分が救出した人達の家族の顔を見ましたか? 目の前で絶望的な炎の中で燃え尽きようとしていた愛する人を、その手に取り戻せた妻や子供たちの涙を」
自分はそこではじめてひとつ息をつき、すこし声のトーンを落とした。

「自分は親の顔も知らず、家族などとは無縁の境遇で育ちましたが……あの涙を見た時、はじめて『家族』という形態を羨ましいと思いました。あんなにも純粋に、誰かのことを想って祈り、涙を流してくれる存在を。 自分にはそんな彼らを助けることなど、到底出来はしない。ですが、あなたらなら……それが可能だ。
そしてそんな特別な能力を持ったあなたの身代わりになることくらいなら、自分だって出来るかもしれない。
――そう思ったから、自分は引き返して……今、ここに居るんです」







 しばらくの間、誰も口を聞かなかった。

自分を睨みつけるように見ていた彼がようやく口を開きかけた時、銃弾が頬をかすめた。
思わずのけぞって、傍らのラックにしがみつく。
左手のオーク樽の並びに人影が垣間見えた。
すかさず、彼と少女が撃ち返す。短い叫び声と共に重い砂袋が床に転がったような鈍い音が聞こえた。

「入り口に行く。援護してくれ!」
すっと身体が沈んだと思ったとたん、彼は入り口へとダッシュしていた。
慌てて銃を構えて引き金に指をかける。だが、彼に当たってしまいそうで引き金を引くことが出来ない。
「あたしが援護するから、後ろを見てて!」
少女が樽の陰から身を乗り出して、その華奢な身体に不似合いな銃をぶっぱなす。
自分は慌てて少女と背中合わせになりながら、銃を持ち直した。
激しい銃撃の音がした。思わず首をすくめて身体を低くする。
「ジョウ!」
少女のかん高い叫び声が響き、同時にオーク樽の陰から飛び出した。
あわてて自分は銃を構えて辺りを警戒する。とりあえず敵の姿が見当たらないのを確認して、入り口に首をめぐらした。
カーブの入り口には見張りをしていた男たちが転がっていた。その脇で彼が膝をついて壁に寄りかかっている。
自分も走って彼の元へ近寄った。肩口を抑えていた手指の間から血が滲んでいる。
「ジョウ!血が……」
彼の傍らに跪いていた少女は真っ青な顔をして狼狽していた。
「大丈夫だ、かすっただけだが……クラッシュジャケットじゃないと、結構痛いな」
「あたりまえじゃない!」

少女が止血しようとしたのだろう、自分のワンピースの裾を破ろうと手をかけた。
「アルフィン、やめろ!俺の袖を破れ」
彼は慌てて少女を止めた。それを聞いて自分はベルトにコックコートを挟んでいたことを思い出し、急いで差し出す。
少女が手早く彼の肩口にコックコートをまわして止血した。
彼は痛さにちょっと顔をしかめたが、すぐに傍らに立つ自分の顔を見上げて言った。
「助かった。ええと、なんだ。今更だが……あんたの名前は?」

――そうだ。こんなに長い時間一緒に行動を共にしているのに、自分は名前さえ言ってなかった。

「失礼しました。アダンといいます」
「……アダン。さっきの話だが」
彼は少女に身体を支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。すこし足元がふらつく。
「俺はそんな『特別』な人間でもなんでもない。俺を必要とするところへ行き、仕事をして金を貰う、ただそれだけだ。人助けなんて、正直思っちゃいない。ただ……」
彼の額にかかった長めの髪の間から覗く、その漆黒の目がすこし柔らいだ。
「助けた者の家族の顔まで、見る余裕はなかったな。もし、あんたの言うことが本当なら……俺は自分が思っている以上の、仕事をしたのかもしれない」
「もちろんです、あなたはあなたの仕事をもっと誇り思ってもいい」
「その言葉はそっくりあんたに返すぜ、アダン」
彼はかぶりを振って言った。
「自分は何の役にも立たないなんて、金輪際口にするな。それは、はっきり言って『逃げ』だ。
あんたは自分の限界を知っているか?能力を最大限に引き出す努力を毎日しているか?
アダン、自分の仕事にもっと誇りを持て。その誇りを裏切らないような仕事をしろ。そうしたら誰も何も言わなくなる」

 彼の言葉は直球だった。
 言葉で飾らないぶん、真っ直ぐに胸に来る。

「上に行く。アルフィン、アダンを頼む」
彼は銃を持ち直して壁に張り付いた。そっと階段の上をうかがう。
少女はもう何も言わなかった。小さく頷き、意志の強そうな碧い目で彼の言葉に応えた。
「アダン」
「は、はい」
「あんたの選んだ『オハラ』、最高に旨かったぜ」
彼はにやり、と笑ってみせた。

そして次の瞬間、身を翻して階段を駆け上がって行ったんだ。





[ Novels Top ]*[ Next ]


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送