〜旅立つ時V〜 | ||
すかさず、少女が階段の入り口から上体を出して彼を援護する。 呼吸がぴったりだ、と思った。おそらく、いつも二人は組んで仕事をしているのだろう。 口に出さずとも目線を交わすだけで、的確に次の行動へと移ってゆく。 素直に羨ましい、と思った。 が、正直キツイだろうな、とも思った。 男女の差はもちろんのこと、経験と技量の差が歴然としている。 あれだけのクラッシャーと一緒に仕事をしている彼女のプレッシャーは、並大抵のものではないだろう。 ――何がこの少女を駆り立てているのだろう? 自分はぼんやりと、少女の華奢な後姿を眺めていた。 折れたヒールを脱ぎ捨てた、白い裸足の脚が目に眩しかった。 「おかしいわ」 「え?」 少女が銃を撃つ手を止めた。 「銃撃が止んだわ。何も音がしない」 かぼそい声の語尾が震えていた。 自分の脳裏に先ほどの彼の血の滲んだ傷が思い浮かんだ。 ――まさか。 突然、少女が身を翻して階段に飛び込んだ。細くたなびいた金髪が残像のように目に焼きつく。 慌てて自分も後を追った。 少女のあまりにも無鉄砲な行動と共に、彼の身に起きたことを想像して心臓が早鐘のように激しく打つ。 息が出来ないような痛みを胸に感じた。 「ジョウ!」 少女は階段を一気に駆け上り、そのままの勢いでエントランスフロアに飛び出して、叫んだ。 彼は銃を下ろしていた。 黒っぽい制服を着た人影が二人、彼を挟むように立っている。 「アルフィン、大丈夫だ。警察が来た」 彼は顔を上げて少女を安心させるように、すこし笑った。 自分が通報した警察がやっと来たのだ。 助かった、と思った。 とたんに膝の力が抜けて、自分はへなへなとその場にへたり込んだ。ゆっくりとひとつ、大きく息を吐く。 今はいったい、何時頃なんだろう? 一晩中逃げ惑っていたような気もするが、外はまだ暗い。実際にはまだ日付さえ変わっていないのかも知れない。 両手をついたエントランスの紅い絨毯の上には、細かいガラスの破片が散らばってキラキラしていた。 その綺麗な粒をぼんやり見ながら、次第に気が遠くなってゆくような感覚に陥っていた。 ――しかし次の瞬間、彼の声ですぐに現実に引き戻された。 「どういうことだ!」 はっ、として顔を上げた。 そこには警官と揉み合う彼の姿が目に入る。 彼の手から銃は取り上げられ、そのうえ手錠がかけられているのが見て取れた。 「なにすんのよ!」 続けて少女の叫び声が聞こえた。 伸び上がって外を見ると、少女が警官に腕を把られ、パトカーへ押し込められようとしている。 「アルフィン!くそっ、離せ!」 瞬時に彼が手錠のかかった両腕を振り上げた。それが傍らに立つ警官の顎に見事にヒットした。 猛然と少女の方へダッシュしようとした彼の身体を態勢を立て直した警官が掴み、彼の腹部に膝蹴りを入れた。 「がっ」 たまらず、膝を折って倒れこむ。 「ち、ちょっと待ってください!」 自分は慌ててエントランスを飛び出した。 倒れた彼にさらに蹴りを入れようとしていた警官の動きが止まる。 「なんだ?おまえは」 横からくぐもった声が聞こえた。 見ると、くたびれたハーフコートに煙草をくわえた刑事らしき人影が近づいて来た。 「自分は、この店のスタッフです。うちのお客様に何をするんですか!?」 「お客様だと?はん。残念だが、今となっては容疑者だ」 「何を……バカな!?」 「見りゃわかるだろう。一般人を巻き込んだ派手な銃撃戦に歴史的建造物の破壊、死者も何人か確認されている。おまけに所持を禁止されている銃をぶっぱなしながら出てきやがった」 「それは……いきなり店内で襲われたからだ!倒れているヤツラを調べてみろ!地元のヤクザばかりじゃないか!」 自分はあまりの驚きと怒りで、手を振り回して叫んだ。 「それは知らんなァ。中に倒れているのは一般人かスタッフばかりのようだが……」 興奮して喚く自分を尻目に刑事は素知らぬ顔をして、ちびた煙草を咥え直す。 「ふ、ヤクザと手を組んでる腐った警察か……よくある話だ」 下から低い声が聞こえた。腹部を押さえた彼がよろよろと立ち上がる。 「護衛を請けた時にも、この惑星の警察の内部事情を色々と聞いたが……ここまで腐っているとはな。呆れたもんだ」 「だまれ、クラッシャー風情が!」 刑事が吐き捨てるように言って、再び彼の腹を蹴り上げた。 彼の口から血反吐が飛び散る。 自分はうずくまった彼の傍らに膝をつき、刑事を睨み上げた。 「なんてことをするんだ、大統領をテロリストから護った英雄だぞ!」 「ほおー、なんとも感動的なセリフだ!わが国にもこんな愛国心を持った青年がまだ居たとは……涙が止まらんな」 あまりの非道さに、自分は唇をかんだまま言葉も出なかった。 「まあ、サミットの間は確かに完璧だったらしいな。あいつら、手も足も出なかったようだ。だが、もうこの惑星でのお前達の仕事は終わった。 今となってはただの『他所(よそ)者』だ」 刑事は蔑むように自分達を見下ろしながら、喋り続ける。 「そんなやつらがウロウロしてると目障りなんだよ。あいつらも仕返ししようと躍起になって揉め事が絶えない……」 「アダン、こっちを振り向かずに黙って聞け」 突然、下から低い囁き声が聞こえた。彼が腹を抑えてうずくまったまま、喋りかけてきたのだ。 咄嗟に自分は表情を変えないようにして、じっと耳をすませた。 「いいか、俺が右後ろに立ってるヤツを抑える。その瞬間、前の刑事に体当たりしてそのままパトカーへダッシュしろ。そして運転席に乗っている警官を引きずり出すんだ」 「まったく、銀河系随一だかなんだか知らんが……」 まだ刑事はいい調子に御託を並べている。 腋の下がじっとりと汗ばんできた。 ――クラッシャーって、なんでこんな無謀な作戦ばかり考えるんだろう? そんな自分の心の裡を見透かしているかのように、彼は言葉をかぶせた。 「選択の余地はないぜ、アダン。俺が飛び起きたと同時に前へ飛び込め」 その言葉が終わらないうちに、彼の身体が跳ね上がった。 自分はもう夢中で目の前の刑事の脚に飛び込んだ。 さすがに油断していたのだろう、カンタンに刑事の身体が吹っ飛ぶ。 その勢いのまま、自分は刑事の後ろに停まっていたパトカーに向かった。 パトカーには今まさに、運転席に乗り込んでエンジンを始動させたばかりらしい警官が座っていた居た。 今の騒ぎに振り向いて目を丸くする。突進してくる自分に気がついたらしい。 あわてて閉めようとしているそのドアに無我夢中で飛びつき、渾身の力でドアを開いた。 そのドアに付いてくるように警官の身体が前のめりになって車外に出てくる。 自分は制服の襟首を鷲掴みにして、思いっきり車から引きずり出した。 しかし、上手く事が運んでいたのは、そこまでだった。 なんと言っても日頃訓練を積んでいる警官だ。あっという間に形勢を逆転され、地面に叩きつけられた。 脳震盪を起こして、しばし意識が遠のきそうになる。 そのうえ、馬乗りになって抑え込まれ、ぐいぐいと首を締め付けられた。息ができない。 突然、ふっと軽くなった。 彼が上に乗っていた警官に体当たりしたのだ。警官が横に転がったところに彼がすかさず、前蹴りを入れる。 「アダン、銃でこれを撃ってくれ」 警官に取り上げられていた銃も、ちゃっかりもぎ取ってきたらしい。 自分は言われたとおり、彼の手錠の真ん中に銃をあてて引き金をひいた。 足元に銃弾が跳ねた。 見ると自分が体当たりして倒れた刑事が、凄い形相で銃を撃っている。 「アダン、後に乗れ!」 言うがはやいか、彼はパトカーの運転席に飛び込んだ。 いくつかのレバーを操作して初動をかける。 自分もあわてて後部座席のドアを開いて飛び込んだ。ほとんど同時に彼は車を急発進させる。 無茶苦茶な発進だ。 もう一瞬遅ければ、確実に自分は振り落とされていただろう。 車体の外叛に鈍い音が響いた。後ろから銃撃を受けているらしい。 だが、そこはパトカーだ。防弾加工してあるので心配はないようだった。 今のところ心配なのは……『彼の運転』だった。 あの急発進の後も恐ろしいスピードで街を走り抜けている。卓越した彼の運転技術によって、他の車との接触を免れているに過ぎない。 しかし、寸前でかわされた車は……たぶんクラッシュしているだろう。 彼のハンドルワークとスピードに到底反応できないのだ。 自分が向こうの車に乗っていなくて本当によかった、と心底思った。 「ちょっと、この手錠はずしてくれない?」 いきなり、横から話しかけられた。 あわてて首をめぐらすと、少女が手錠と闘っている。片方の手首にかけられた手錠がドア上のバーにひっかけられていた。 自分は慎重に手錠に銃を当て留め引き金を引いた。 「サンキュ。いたぁい、傷になったわ」 少女が細い手首をさすって、嘆いた。 「アルフィン、シートベルトしとけ!ハイウェイに入る」 パトカーは高架しているハイウェイへと進路を変えた。 彼がちら、と後部ミラーを見ながらぼやく。 「まいったなァ。うじゃうじゃ付いてくる。警官を相手にするとこれが面倒だ」 自分は首をめぐらして後方を見た。 サイレンを派手に鳴らしながら、数台のパトカーが追ってきている。 「あーあ。やっとドンパチが終わったと思ったら……今度はカーチェイスなの?」 隣から呆れたような声が聞こえた。 「んもう、ジョウが警官やっちゃうからよ!」 「んなこと言ったって、あのまま捕まったらスルーでやつらに引き渡されてるぜ?」 「それも、やーよ!」 「じゃあ、どーしろって言うんだ!?」 ――なんだか険悪な雰囲気になってきた。 突然、パトカーの車体がガクン、と揺れた。 「きゃ!」 「わっ!」 急制動で上体が前のめりになる。シートベルトが食い込んで一瞬、息ができない。 「くそっ!」 顔をあげると彼がハンドルを固定しようと、しがみついていた。 「オートに切り替わった。向こうで操作しているらしい」 奥歯をぎりっと鳴らして、彼が忌々しそうに呟いた。 パトカーのコンソールに目をやると、ナビゲーションシステムがモニタに表示されている。点滅している赤点がこのパトカーらしい。 ハイウェイは一般車両も規制され始め、ぐっと車の数が減ってきていた。追跡のパトカーに囲まれるのも時間の問題だろう。 「このナビ、銃で撃っちゃだめ?」 少女が身を乗り出して訊く。 「おそらくフロントに動力部がある。ヘタしたら大爆発だ」 彼は手当たり次第に各所のレバーやスイッチを操作しながら、答えた。一向に車体は反応しない。 そうこうしているうちにスピードが落ちて、ハンドルが路肩へと切られた。 その時、自分は偶然思い出した。 厨房から持ち出してきた小型のハムナイフをベルトに挟んでいたのだ。 「これで、やりましょう」 彼は差し出したナイフを片手で受け取った。 「さすがコックだな。しかし、これじゃあコンソールパネルに傷をつけるのが関の山だ」 「この惑星の警察は貧乏なんですよ。このナビだって中古の後付だ。パネルの上部を開くと基盤があると思います。それを壊すのがいちばん早い」 彼は答える代わりにコンソールパネルの上部の端にナイフをつっこみ、こじり始めた。 何度目かでパネルが音をたてて外れる。中には配線で繋がっている基盤が出てきた。 「いいぞ、アダン」 が嬉しそうに言って、ためらいもなく配線を掻き切った。モニタがすぐにブラックアウトする。 「今の時代にダサい作りねェ」 少女が目を丸くして、呆れたように言った。 彼がハンドルを握りなおした。 すぐに進路を本線に戻した後、みるみるタコメーターの針があがってゆく。 驚いたのは追跡していたパトカー達だった。路肩に誘導して停車させようと、自分たちもスピードを落としていたところだったのだ。 猛然とかっ飛ぶこのパトカーに、付いて来れる者は居なかった。 通信機の呼び出し音が鳴った。彼が手首を口元に寄せる。 「タロスか!?」 「ジョウ、今どこですかい?」 低いドスの効いた声が漏れ聞こえる。 「ちょっとワケあって、警察とカーチェイス中だ」 「そりゃあ、てェへんな時に連絡しちまいましたね」 「いや、いい。こちらも呼び出そうとしてたところだ」 話しながら彼は器用に手首から通信機を外した。振り返りもせずに、後ろに放おる。 「アルフィン、代わりに中継してくれ」 「オッケイ」 キャッチした少女が通信機へと話しかけた。 「タロスぅ、散々なディナーだったのよォ!早く迎えに来てくれない?」 「迎えって……今、どこらへんを走ってるんですかい?」 「えっ、何処って」 少女は困ったように自分を見た。 あわてて辺りを見回した。 暗くてよく分からないが右手になだらかな丘陵地帯のようなものが見えた。そして先ほど見た標識から現在の位置を予想して答える。 「右手にオハラ高原が見えますから、ダイナロス・シティに向かう4号ハイウェイの上です」 「聞こえた?」 「へえ。実はこちらもちょいと雰囲気がオカシイんで連絡したんですが……」 「なんだって?」 彼がバックミラー越しに訊いてきた。 少女が通信機を彼の耳元に差し出す。 「つい先程、管制官から連絡がありましてね。事情により宇宙港を一時封鎖するってェことなんですが」 「なに!?」 自分を含めて、三人が顔を見合わせた。 「事故でもあったのかと、リッキーに様子を見に行かせたんですけどね。事故があったどころか、他の宇宙船は順調に発着してるんですよ。こりゃあ、ミネルバを足止めする口実だと思いましてね。急にそっちが心配になったって訳でさァ」 「くそ……警察が裏で手を回したな」 「そんな!」 少女がちいさなこぶしを口元にあてる。 「やつらとグルなんだ。あっさりと逃がすわけにはいかないんだろう。タロス!」 「へい」 「大統領の専用回線へ繋いで転送してくれ」 「あれは数時間毎に番号が変更されますよ。護衛任務が終わった今、こちらでは調べる術はありません」 「ちっ」 彼が舌打ちしたその後ろで、少女があっけらかんと言った。 「じゃあ、携帯へ連絡してみましょうよ」 「はあ?」 彼が驚いて振り向いた。 「アルフィン、そんなの知ってるのか?」 「あら、大統領が教えてくれたのよ?またこの惑星に来ることがあったら、ぜひ連絡をくれって」 「あのハゲ野郎、いつのまに……」 忌々しげに呟く彼を尻目に、少女は携帯の番号を入れ始めた。 「……そんな簡単に大統領に繋がるものなんですか?」 後ろから半信半疑で自分が質問する。 「知るか!」 彼の機嫌が、目に見えて悪くなった。 「あ、夜分に申し訳ありません。先日護衛させていただいたクラッシャーアルフィンです。大統領、今お時間よろしいですか?」 突然、少女が涼やかな声で話し始めた。 「わ、繋がってる!」 言った後にシマッタ、と思った。 彼のこめかみのあたりが、わずかにヒクついているのがバックミラー越しに見える。 「え?いえ、今はまだ居りますわ。ええ、明日のフライトを予定してますが……え?今日のランチを?」 まだ大統領が喋っている声が漏れ聞こえたが、次の瞬間、彼は無言で少女の手から通信機をひったくっていた。 「大統領、クラッシャージョウです」 声のトーンが恐ろしく低い。 「明日のフライト予定は変更です。今すぐ、ランバート空港の管制塔へ指示をだしてミネルバの離陸許可と出国許可をお願いします」 通信機の向こうから何か問いかけの声が聞こえた。 「何があったかって?こっちが知りたいくらいですよ。 レストランで食事中にいきなり襲撃されて数時間逃げ回ったあげくに、ようやく警察が来たかと思えば、手錠をかけられあやうく署へ連行されるところだった。 今、アルフィンが押し込められたパトカーをいただいてハイウェイを走っているとこですが、追跡のパトカーがうるさくてかなわない。ついでに警察のトップへも連絡を入れて止めさせていただけますか?まあ、そのトップにもやつらから裏金が回っているかもしれませんがね」 そこで彼は思わせぶりに、一息入れた。 「ただ、これ以上この国の醜聞を銀河系に広められたくなかったら、即刻すべてを手配してください。これ以降、ミネルバの発着を阻止したり、俺達のパトカーを妨害してくるような相手には、テロリストだろうが警察だろうが容赦はしない。クラッシャー流に対応する。 ――いいですか?『いま、すぐ』だ!」 そう言い捨てて、彼は通信機をぶち切った。 「アルフィン」 彼は前を向いたまま、相変わらず低い声で続けた。 「この仕事はチームで請けている。クライアントと個人的にコンタクトは取るな」 「……はぁい」 少女は何か言いたそうだったが、彼の横顔を見てやめたらしい。 思わず噴き出しそうになった。 銀河系随一と噂される凄腕の若きクラッシャー。仕事中のあの炯々とした鋭い目、精悍な横顔。 それなのに……時々ふっと見せる、この少年のような表情。 そのギャップが可笑しくて、笑いがこみ上げてきた。 気がつくと、彼は再びタロスという仲間に連絡を入れていた。 「……ああ。今、大統領に要請したところだ。しかし、このまま空港に乗り入れるのは…」 「ねえ」 突然、横から少女が話しかけてきた。 夜目にも煌く大きな瞳がまっすぐにこちらを見ている。 「あなた、ジョウのこと好きなんでしょ?」 「・・・・・・は?」 完全に思考が停止していた。 わけもなく顔が熱くなり、鼓動が激しくなる。 「図星ね」 少女はゆっくりと前へ向きなおった。 そしておもむろに両手を組み、ちいさな顎をのせる。 「ち、違います」 自分はとにかく頭をぶんぶん、とちぎれんばかりに横に振った。 とりあえず説明しようと口を開く。が、うまく言葉が出てこない。 「何をそんなに慌ててるの?」 顔を前に向けたまま、少女がちらりと横目で見る。 「男として惹かれる、って意味で言ったんだけど?なんか違うの?」 「い、いえ。まったく、その通りです!」 今度は首を縦にぶんぶん、と振ってみせた。 その仕草に安心したのか、少女は長いまつげを伏せ気味にして、ぽつぽつと話し始めた。 「ジョウって女性にも、もちろん人気があるんだけど……あの通り、ひどい照れ屋のうえに結構鈍いから、意外と女性達に囲まれたりはしないのよ」 ――そりゃあ。こんな金髪碧眼の美少女が傍らに居たら、そうは隣に来ませんよ。 自分は心の裡でツッコミをいれる。 「それより、男の人に囲まれることの方が多いわ。 久しぶりにクラッシャー仲間なんかと会うと、お互いに拳を合わせて軽口を叩きながら、本当に楽しそう」 少女は口元で細い指先を合わせ、羨ましそうな表情をした。 「あたし、別に女に生まれてきて後悔なんかしてないけど、ああいうの見ると羨ましいなって思う。もし、あたしが男だったら……ジョウと呑みながら仕事や女の子の話なんかしちゃって、売られたケンカももちろん即買いで大暴れして、顔を腫らしてボロボロになって・・・そして、肩を組んで船に帰るわ」 そんな自分を想像したのか、少女は肩をすくめて楽しそうに笑った。 ――それは、今でもやってそうだけど? と、再び自分の心の裡だけでツッコミを入れる。 「それに、男だったら」 少女は祈るように両手を胸の前で組んだ。 「きっと仕事でも、もっともっと役に立てると思う。絶対的なパワー、スピード。悔しいけれど、どれをとっても男の人には到底、敵わないもの」 ――やっぱり。 カーヴでの戦闘中にもふと思ったが、この少女が抱えているプレッシャーは相当なものなのだ。 クラッシャーの中でも飛び抜けた能力を持つこの青年と一緒にバディを組むことは、男だって相当な覚悟がいるだろう。 何が彼女をそんなに駆り立てているのだろう?と不思議に思っていた。 が、今まさに目の前でその碧い目を輝かせながら話す少女を見ていると、すこし理解できるような気がしてきた。 彼が好き、という異性的な感情よりも、もっとこう同性が抱くような……憧れ、羨望、そして尊敬。 そう、自分の今の気持ちと、とてもよく似ている。 「たぶん、あたし……男に生まれてきても、やっぱりジョウのこと好きになると思う。 だって、あんなに生き生きと仕事をしている格好いい男って、そうはいないもの。男が惹かれる男、っていいじゃない?」 「ええ」 自分は心の底から、頷いた。 「本当にそう思います。彼は……『最高の男』ですよ」 ――そうだ。 自分があの銃撃が飛び交う中、ホールに取って返したのはただただ、あの『最高の男』を助けたいがためだった。 彼がエントランスのステップを降りて来た時から、自分はあの夜の色の瞳に強く囚われたままなのだ。 「あなたが男でよかったわ」 少女は華のように、にっこりと微笑んだ。 「女の子だったら絶対、レイガンぶち込んでる」 ――自分は二十年そこそこの人生の中で 今日ほど『男に生まれてよかった』と思えた日は、ない。 「こっちの手配はついた」 気がつくと、彼の通信は終わっていた。 どうやら大統領の指示もちゃんと行われたのだろう。あのうるさいパトカー達のサイレンもほとんど聞こえなくなっている。 バックミラー越に彼が訊いた。 「アダン、これからどうする?」 「自分は……」 窓の外の暗闇に目をやって、自分は答えた。 「どこか適当なところで降ろしてもらえば、自分で帰ります」 「帰るって、家にか?待ち伏せされてるかもしれないぜ」 「・・・・・・え?」 彼が言った一言に驚いて、自分は顔をあげた。 「妥当な線だ。あんたは俺たちを助けて地元のヤクザを敵に廻してしまった。やつらがあんたの素性を調べ上げるなんて朝飯前だ。初めは俺達をかくまっているか疑われるだろうし、腹いせに殺られるかもしれない。しばらく何処かに隠れていた方がいい」 「何処かにって……」 ――甘かった。ここにきて自分が関わってしまった事の重大さをあらためて感じた。 店にも当分、顔を出せそうにも無い。出そうにも、店があんな状態では……。 「なあ、アダン」 いろんなことが頭の中を駆け巡り、俯きがちになっていた自分に彼が声をかけた。 「宇宙へ……出てみないか?」 「え?」 予想もしていなかった彼の言葉に、自分は呆けたように答えた。 「自分の意思で戻ってきたとはいえ、結果的にはあんたをとんだ事件に巻き込んじまった。これからのあんたの身に及ぶ危険や、壊滅的なあの店のことを考えると……このまま、この惑星に居る意味はあまりない、と思う」 「…………」 「いつまでも地べたに貼りついているつもりは無いんだろう?この機会に外の世界に飛び込むのも悪くはないと思うぜ」 ――宇宙。 今まで縁の無かったその単語を、頭の中でゆっくりと反芻した。 出生後すぐに親に捨てられ、施設で育った自分に、宇宙は本当に無縁の世界だった。 仕事の後の帰り路、疲れたため息と共に見上げる夜空。無数に瞬くちいさな星々。 そんなイメージしか浮かんでこない。 「パスポートは持ってないの?」 横から少女が覗き込んだ。 「そんなものは……自分には必要ありませんでしたから」 「困ったわね」 「そう困ることはないぜ。打開策が無いことも、ない」 彼はそう言いながら、パトカーをハイウェイから降ろすためにハンドルを切った。 「え?」 「リッキーやアルフィンを見習えばいいサ」 「あ!」 少女が指を鳴らした。 「その手があったわ!」 「だから、何なんですか?」 意味が分からず、自分は不安そうに二人を見比べる。 「密航だ」 彼は前を向いたまま、さらりと言った。 「はあ?」 自分は素っ頓狂な声をあげた。 「じ、冗談ですよね?」 「クラッシャーは冗談は言わない」 彼は前と同じように大真面目な顔で答えた。 「大丈夫よ。怖いことなんて全然無いわ」 「で、でも、着替えも何も……」 「そんなの、ジョウに借りればいいじゃない。クラッシュジャケットだってあるわ」 「ええ?」 「そうだ!クラッシャーになるか?アダン」 彼がバックミラー越しに訊いてきた。目が悪戯っぽく笑っている。 「な、何を言いだすんですか!?」 「ちょっとマイナス思考気味だが、度胸は悪くない」 「わあ、毎日アダンの料理が食べられるなんて……嬉しいわ」 「い、いや、ちょっと」 自分は慌てて顔の前で両手を振った。 あんなドンパチの中を走り回るくらいなら、48時間タマネギを刻んでいた方がよっぽどマシだった。 そんな自分の様子をバックミラー越しに眺めながら、彼は面白そうに笑っていた。 「でもズルイわ、ジョウに直接スカウトされるなんて。あたしが密航した時は最後まで反対してたクセにィ」 少女が隣でむくれている。 「あ、あなたも密航したんですか?」 「聞いて驚くなよ、アダン。彼女はもっと変り種だ」 「?」 「元ピザンの王女様であらせられる」 「なによ、その嫌味ったらしい言い方!」 少女が前に乗り出して、彼の肩をぶった。 そして固まっている自分の方を振り返り、にっこりと笑って言った。 「でも、継承権は無かったのよ?試験に落っこっちゃったから」 ――いや、そういう問題じゃないだろ。 と、自分はもう何度目か分からないツッコミを入れた。 彼はパトカーをオハラ高原へと向けていた。 ランバート空港に直接乗り込むのは危険なので、別のポイントで仲間に回収してもらうことになったようだ。 暗闇の中をなだらかな斜面にへばりつくように、低い葡萄畑が広がっている。 突然、鼻の奥にあの「オハラ」の甘くスパイシーな薫りが広がったような気がした。 「じゃあ、そういうことで決まりだな」 「ど、どういうことですか!?」 あっさりとまとめに入った彼の言葉を、自分は慌ててさえぎった。 この惑星から一歩も出たことの無い、大陸間のスペースシャトルにさえ乗ったことの無いような自分が、いきなり宇宙へ? 身よりもツテも無い自分が、どうやって外の世界で生きてゆけばいいのだろう? 色々なことが頭の中で渦巻いて・・・・・・自然と顔が俯きがちになる。 「アダン、宇宙は広いぜ」 そんな自分の胸中を見透かしたかのように、彼は続けた。 「地べたでただ毎晩、星空を見上げているだけなんて、もったいなさすぎる。 宇宙の……その無限のように思える広さや、人間の小さすぎる存在に気付いて、不安に押し潰されそうになるかも知れない。 だが、俺達だって宇宙の一部だ。気後れすることなんて何も無い。 ためらいなく、その一歩を踏み出せ。今が……『旅立つ時』だ」 「今が、旅立つ時……」 その言葉が、自分の顔をあげさせた。 「そうだ、アダン」 彼はまっすぐ前に視線を向けたまま、ゆっくりと言った。 「そして、誰にも何も言わせない『実力』をつけろ。その腕一本で生きてゆけ。そうすれば、宇宙の何処に行っても通用する」 脳裏に再び、あのアステロイド・ファクトリーでの救出劇の映像が思い浮かんだ。 ほかの誰でもない、彼しかやり遂げられなかった仕事。 その腕に命と誇りををかけて、惑星間を渡り歩く宇宙生活者たち。 ――その『実力』があるからこそ、彼の言葉はいつも真っ直ぐ胸にくるのだ。 「自分はいずれ、店を持ちたいと思っています」 知らず、言葉が口をついて出ていた。自分でも驚くほど、落ち着いた口調だった。 「何処の惑星で店を開くかはまだ分かりませんが…その土地特有の食材を使った料理に、その土地で造られた美味い酒を組み合わせてみたい。自分の店を訪れた客たち皆が、皿のソースの最後の一滴まで満足して、ワイングラスの残り香まで愉しんで食事をしてもらえるような、そんな店を持ちたいと思っています」 いままで誰にも言ったことのない夢が、今すんなりと口から出てきた。 そして不思議なことに口にしたとたん、現実的なヴィジョンが頭の中に広がったような気がした。 もう、彼の事を羨ましい、とは思わなかった。 生まれ変われるのなら……ではなく、今を生きる自分に賭けてみよう、と心から思った。 「すごいわ、アダン。とっても楽しみ!」 少女が口元で細い指を組み、ほんとうに嬉しそうに笑ってくれた。 とたんに、恥ずかしさがこみ上げてくる。 「い、いえ……これは、ただの夢物語で」 「夢も一歩を踏み出せば、現実に近づくわ」 少女の自信を秘めた、碧い瞳がきらきらと煌いた。 「お店をオープンしたら、必ず知らせてちょうだい」 「ええ、それはもちろん!お二人を招待しますよ」 「今度はちゃんとデザートまでいきたいわ」 彼がゆっくりとブレーキを踏み込み、パトカーを停止させた。 オハラ高原の頂上付近にある広大な展望公園だった。 彼がようやくハンドルから手を離して、大きく息をついた。 左肘をサイドレストにひっかけて、ゆっくりと後ろへ振り返える。 「アダン、ひとつリクエストがある」 「・・・・・・なんでしょう?」 「新しい店にも、あのワインを置いてくれないか?」 「オハラ、ですか?」 自分は心の底から嬉しくなった。 「元よりそのつもりです。あれが自分の原点だ」 彼がおもむろに左手を上げて、拳をつくった。 自分も自然に拳をあげて、それに応える。ふたりの拳が軽く弾けた。 「旅立つ時だ、同級。宇宙へ出て、ひと暴れしな」 彼の漆黒の瞳が、悪ガキのように耀いた。 「もちろん。でも、うちの店では暴れないでくださいよ」 三人は声をあげて笑った。 高原を覆う葡萄畑が、ぼんやりと明るく浮かび上がってきた。 迎えに来た銀色の宇宙船が煌々とライトで辺りを照らしながら、ゆっくりと降りてくるのが見える。 ――そして自分は この惑星から・・・旅立ったんだ。 |
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