――はじめて
人のことを羨ましい、と思った。
生まれ変われるのなら…あんな人になりたい、と。

その夜も店は混んでいた。
こんな辺境惑星の中でも、ちょっとは名の知れた店なのだ。
地元特産のザンダリル貝とカイムール・フィッシュ。料理に合う地酒を気軽に呑めるこの店はギャラクティカ・ミシュランで星二つを貰ったこともある。

この店の厨房に入ってもう10年になる。
ひととおりの食材は扱えるし、店の看板メニューも時たま任される。先日からはサーブの勉強も兼ねてホールに出ている。
自分の店を持つならば、料理だけではもちろんダメだ。食材、調理から接客、酒の選定まですべて確かな目を持たなければ。
しかし、資金もツテも何もない自分に「店」なんて夢のまた夢なんだが。。。

この辺境惑星にしてはちょっと小洒落て洗練された店だが、地元の人たちが集う賑やかな雰囲気は居心地がよい。
そんないつもの雑然とした空気が変わったのは……彼らが入ってきた時だった。


 最初に扉から入ってきたのは、黒髪の男だった。
ラフな服装でゆっくりとステップを降りてきたが、一瞬だけ店内に鋭い視線を投げた。

――そう、まるで新しい場所に足を踏み入れた獣が、辺りを確認するかのように。

案内に進み出た自分が思わず足を止めたほどだ。
しかし、その張り詰めた空気を一瞬で溶かしたのは、後ろから現れた彼女だった。
照明を少しおさえた店内が、ぱあっと明るくなった……気がしたのは自分だけじゃないだろう。
眩いばかりの金髪のその少女は、慣れたしぐさですっと彼に寄り添った。
すると、先ほどまで鋭く炯っていた彼の目が僅かに、和らいだ気がした。

「静かな席がいいわ」
彼女はにっこりと花のように微笑んで、言った。
「かしこまりました」
自分はギクシャクとした壊れたロボットのようになって、あの二人を席まで案内したんだ。







 どうやら彼らは、ひと仕事終えた後のようだった。

彼女の透き通るような白い顔にはすこし疲労の翳が見えたし、彼にいたっては頬に真新しい打撲の痕があった。
はじめはケンカにでも巻き込まれたのかと思ったのだが、「今回の仕事はまいったぜ…」とか「話と全然違ったわ。違約金ものよ」などという漏れ聞こえる会話の中から、大変な仕事の後なのだろうと推測された。

オーダーは前菜とスープ、そしてこの店の看板メニュー、サンダリル貝のバターソテーとカイムール・フィッシュのポワレをチョイスした。

「この料理に合うワインは…?」
黒髪の男がワインリストに目を落としながら訊いてきた。
「そうですね。やはり、地元オハラ高地で採れる葡萄を使ったワインがお薦めです。気温差のある高地で作られたピノ・ノアール種は…」
自分が説明を続けようとしたその時、メインソムリエのオージェが近づいてきた。
「アダン、魚貝料理の定番は白と決まっているものだ。この美しいご婦人にそんな地元の大衆ワインを薦めるなど、失礼きわまりない」
祖父がテラのフランス出身ということを鼻にかけている気に食わないヤツだった。
ソムリエとしての評価は一流だが、「この店」のソムリエとしては……オーナーが気入っている理由が分からない。

自分としてはせっかくこの辺境の惑星に足を運んで来てくれた客には、地元産の絶品な魚貝に最も合う酒を薦めたい。
その地で育った木を使った建物が、その風土に最も馴染むように。
その地で採れた葡萄が最も地元の食材の味を引き立てるだろう。
自分の舌で数々のワインを試してきたつもりだが、遠いテラの遺産のようなワインよりも、身近な土地からの芳醇な味わいの方がサンダリル貝とは一番相性が良いと感じている。
――そう、ワインの定番やブランド志向などに惑わされずに。

「あら、わたしは別に地元のワインでも…」
金髪の少女が言葉をはさんだ。すこし首を傾げるしぐさが、はっとするほど愛らしい。
「いいえ、マドモアゼル。私はソムリエとしてこの料理に合う最上のワインをお客様に提供する義務があります」
・・・・・・また始まった。
オージェのワイン講はきりがない。自分は目を伏せて一礼し、オーダーを伝えに厨房へと下がった。

「えらい目立つカップルが入ってきたな」
厨房窓からパティシエのマローがひょい、と顔をだして面白そうにウィンクした。
「だからオージェが、しゃしゃり出てきた」
「・・・だな。まあ、ほっとけ」
マローは手を軽く上げて笑った。だいぶ年上だが、気さくないいヤツだ。

食事はつつがなく進んでいるようだった。
ふたりはゆっくりと前菜を愉しみ、グラスを傾けていた。
驚いたことに、ワインはオージェが薦めた白と共に地元産の「オハラ」もオーダーされていて、ちょっと嬉しくなった。
彼女の白い頬にわずかに赤味がさし、彼の目も優しい光に満ちていた。

――ちょっと妬ましい、と思った。
神はいつの世にも不公平だが、こんなカップルをわざわざ自分の前に寄越さなくてもよいのに。
皆が振り返る美少女と、精悍な顔つきの青年。誰もが羨む二人だろう。
あまり敷居の高くない店とはいえ二つ星だ。そこそこの金が無ければ夜を愉しむこともできない。
金にもルックスにも、パートナーにも恵まれるている。

そんな二人を眺めていることが、とても息苦しく思えた。






 自分はイーストエンドのスラム街で生まれたそうだ。
おきまりの貧困層で最初から育てられなかったのだろう。両親は物心つく前に自分を手放した。親の顔は覚えていない。
預けられた施設の居心地は悪くは無かったが、自分の居場所は見つけられなかった。
十歳の誕生日の前日に荷物をまとめて、施設を出た。

ここがまだ名の知れていない店だった頃、まだ幼い自分をオーナーはとりあえず、皿洗いとして雇ってくれた。
それからは、がむしゃらに働いた。
腹が満たされる幸福と自分の居場所がある安心感。その両方が手に入るこの店は幼い自分にとって天国のようだった。

――だが、そこまでだ。
二つ星のこの店を訪れる客たちとは決定的に違う自分を、毎日あらためて突きつけられる。
そこそこに裕福な家庭で、当然のように義務教育を受け、社会へと入っていける恵まれた環境……彼らの目には、きっと何かしらの未来の姿が見えているのだろう。十年そこらシェフの修行をしただけの、学も無い半人前の自分。身寄りもツテも、もちろん金も無く、これから先の何もかもが見えていない。

だが、そんなことに悲観する歳はとうの昔に過ぎた。
自分を捨てた両親や神を恨み、罵ったとしても何の解決にもなりはしない。
生れ落ちたその時から何も持っていない自分。
その境遇が、かえって自分に心地よい「諦め」という逃げ場を与えてくれる。 毎日やってくる幸せそうな客たちに旨いサンダリル貝を出し、当たり障りの無い笑顔でワインをサーブして一日を終える。
二週間に一度、自分の口座に給料が入る。それで十分だった。
そんな日常に、もう慣れきっていたはずだった。

――それなのに
何故、今日にかぎってこんな気分になるのだろう?
今まで数えられないほどの、幸せそうな家族やカップルを見てきたじゃないか。
自分は胸に広がる得体の知れない重苦しい何かに押しつぶされそうだった。
それが「妬み」や「羨望」というものなのかも、自分にはよく分からなかった。

給仕の合間にそっと、二人のテーブルに視線をやる。
優雅なしぐさでグラスを傾ける少女。身に着けている服やアクセサリはシンプルだったが、少女の醸し出す品の良さがそれらの価値を引き上げていた。きっと上流階級の深窓の令嬢、というやつに違いない。
黒髪の青年だって、まだ二十代そこそこの若さに見える。もしかしたら、自分とたいして変わらない歳かもしれない。

――どうせ、親の財力の恩恵を受けているのだろう。

いつもの投げやりな「諦め」という逃げ場から、無理やり答えを見つける。
それからの自分は、意識してあのテーブルを避けるようにしたんだ。







 レストルームのチェックの時間だった。
ホールの片隅にあるエリアだ。視線を遮る広い壁を回り込む。
「きゃ」
「わっ」
と、そこでさきほどの金髪の少女と、出会い頭にぶつかりそうになってしまった。

「し、失礼しました」
すっと身体を開き、少女のために道をあける。しかし、少女の足は止まったままだ。
「あら、ちょうど良かったわ」
「え?」
自分はあわてて面をあげた。
目の前にはっとするような碧い瞳が現れて、心臓が鷲掴みされたようにぎゅっとなった。
「あなたが私達のテーブルのサーブではないの?あのソムリエさん、話が長くてまいっちゃうわ」

こんなに可愛らしい顔をして、なかなかはっきりものを言うのが可笑しかった。
「あなたら頼みやすいのだけど……ねえ、この店のお薦めのデザートは、なあに?」
「デザート、ですか?」
咄嗟のことで、どうも頭が回らない。

「実は昨日が彼の誕生日だったの」
そこで少女は、はにかむように微笑んで、ほんのりと頬を染めた。
「毎年手作りのケーキを焼くのだけど、今年は仕事でどうしても間に合わなくって……だからちょっとだけでも、お祝いしてあげたいの」
見たことも無い宝石のような碧い瞳を燦めかせて話す少女。
何故か今度は心から素直に羨ましい、と思った。
こんなにもこの少女の瞳を燦めかせるなんて、あの黒髪の青年にどんな魅力があるのだろう?
自分の心の中に、彼に対する興味が湧き上る。

――そうだ。
最初から分かっていた。店に入ってきた時から、自分は彼の「何か」に強烈に惹きつけられていたんだ。

「甘さをおさえたシンプルなものがいいのだけれど……」
ちいさな握りこぶしで口元をおさえながら、金髪の少女は言葉を続ける。
「そ、そうですね。クーベルチュールを使ったショコラと甘さを控えたコーヒー仕立てのムースなど、いかがでしょう?」
黒髪の青年の夜色の瞳を思い浮かべながら、言った。
「素敵、それにするわ!」
少女はもうまるでそのデザートが目の前にサーブされてきたかのように、はしゃいで喜んだ。
しかし、すぐに真顔に戻ってこう言った。
「あ、でもキャンドルとか派手なデコレーションは無しよ?バースデーソングなんて、絶対だめ!」
「は?」
「おっそろしく、照れ屋なのよ。”ハッピーバースデー”なんて歌われようものなら、真っ赤になって出て行っちゃうわ」
「……わかりました」
「じゃあ、そうゆうことでよろしくね!」
少女はくるりと踵を返し、金髪をなびかせながら跳ねるようにホールへと戻っていった。

深窓の令嬢――という予想がいささかぐらついてきていた。
いや、美しい容姿から醸し出す品の良さは、疑いない。しかし、それだけじゃないようだ。
なんて溌剌として、愛らしいのだろう。思わず、自分の顔がほころぶのが分かった。

――それに。
あの夜色の鋭い目をした青年が……そんな超ド級の「照れ屋」だとは。
なんだか分からないが、ますます彼らに興味が湧いてきたのだった。







――いったいあの二人、どういう素性の者なのだろう?

驚いたことに、そんな自分の疑問はあっさり解決した。
マローが厨房の窓から顔を出し、自分にコイコイと手招きしたのだ。

「すげェぞ。サプライズ情報だ」
はしばみ色の目を得意気に細める。お喋りなマローがとっておきの話をする時にいつもする表情だ。
「あの目立つカップルな…」
「え?」
またかよ…と半ば聞き流していた自分は思わず、顔をあげた。
「クラッシャーなんだってよ」
「へ?」
マローが口にした単語とあの二人が咄嗟に結びつかず、自分は宙に目を泳がせた。

――くらっしゃー?

「ほら、昨日までサミットが開かれてただろう?サイマールのテロの後、治安に万全を期した大統領が雇っていたそうなんだ」
「ああ」
そういえば、数日前のニュースパックで見たような気がしてきた。
「それも特A級の、あのクラッシャージョウらしい」

その名を聞いたとたん、鮮明にあるニュースを思い出した。

 数ヶ月前、いや、もう去年のことだっただろうか?
どこかのアステロイド・ファクトリーで爆発事故があり、数百人の人が取り残されていた。甚大な被害状況と未だに続く連鎖爆発の激しさで救助は困難を極めた。その惑星の軍隊とレスキュー隊も出動していたが、救助は遅々として進まず、お手上げ状態だった。
一刻を争う人命救助。その国家のトップは迷うことなくアラミスに要請をかけた。
そこで呼ばれたのが、確かクラッシャージョウのチームだった。
近くの星域だったからか、その救助活動の様子がリアルタイムで実況されていた。ちょうど店の定休日だった自分は何することも無く、その様子をテレビで眺めていたのだ。

オレンジ色の炎をいたるところから噴出し、小爆発を繰り返すアステロイド・ファクトリー。
周りを軍隊やレスキュー隊、そして多くのマスコミの宇宙艇が囲んだまま、なすすべもなかった。
その宇宙空間に颯爽と一隻の銀色に光る宇宙船が現れたのだ。船体にはクラッシャーの船を表す流星のマーク。
それからの救助活動は、目の覚めるような鮮やかさで行われた。
少人数のチームゆえの指示系統の単純さがあるだろうが、今までの軍隊とレスキュー隊が無能にさえ見えるほどの、鮮やかな救出劇だった。

国家のトップは彼らの働きに大いに満足し、国民はテレビの前で安堵のため息をつき、そして各メディアはこぞってクラッシャーの働きを褒めたたえた。
最後の救難艇を誘導して病院船に到着した搭載艇からは、白のハードスーツの男が降りてきた。
駆け寄るメディアの記者たちが、英雄へマイクを向ける。

「素晴らしい救助作戦でした!クラッシャージョウ。どうか一言」
しかし、その英雄は取り囲む記者達を一瞥し、たしかこんなことを口にしたのだ。
「俺たちは緊急の仕事を請け、完遂しただけだ。あとは金を貰えれば、それでいい」

呆気にとられている記者たちを尻目に「邪魔だ、どいてくれ」と言って彼はその場を立ち去った。
その態度には賛否両論があったのだが、どこかの解説者がこう言っていた。

クラッシャーは金さえ貰えれば非合法なこと以外なら何でもやる、いや何でも出来る現代のエリートなのです、と。

白いハードスーツを着ていた男が……あの黒髪の青年?
あの熟練された仕事ぶりを見ているかぎりでは、ここまで若いとは想像もしなかった。
しかし、店に入ってきた時に見せたあの鋭い眼差し。確かにタダ者ではなかったのだ。

マローに彼らのデザートを伝えてから、もうどうしようもなく気になってホールへと顔を出した。
メインを終えたテーブルにゆったりと肘をつき、少女が嬉しそうに話かけている。
いい感じに酔いが回ったのだろう、青年の漆黒の瞳にも最初の鋭さは無く、くつろいだ様子でそんな少女を優しく見ていた。

――何処にでも居る、幸せそうなカップル。
彼らがあの凄腕のクラッシャー?ほんとうなのか?

自分が数分後にそれを確かめることが出来るとは、その時は思いもしなかったんだ。







 「わりィ。ハーブが切れた。採ってきてくれるか?」

厨房の窓から顔を出したマローが、すまなそうに片手をあげた。
自分も軽く右手をあげて応え、従業員用の勝手口から外へ出る。
建物に沿って作られたミニガーデンに入り込み、膝をついてリーフを摘み始める。

――と、その時。
立ち木の向こうから低い男の声が聞こえてきた。

「……中に居るのは確認できた」
「確かに黒髪の男に、金髪の女か?」

咄嗟にハーブの繁みの中に顔を隠した。
「くそ、やつら仕事が終わって祝杯気取りか」
そっと頭を上げてうかがうと、黒いスーツを着たふたりの男が木の下に身を寄せて話している。
手には物騒なカタチの銃のようなものが握られていた。

「まあ、見てな。きっちりカタはつけさせてもらうからよ。カラッツォの兄貴の仇はきっと取る」
「大統領も無事にサミットが終わってほっとしているところだろうが……完璧に任務を遂行したクラッシャーが殺られたとなりゃあ、今後の対応も変わるだろうよ」
自分はずっと息を殺して繁みにひそんでいたが、心臓は破裂しそうなほどバクバクしていた。

夜空に輝く衛星が今夜は満月だった。
目をこらすと、ランドローバーのような車両が数台、駐車場と脇の道に停まっていた。
この二人だけじゃない。どうやら複数名の不審者に店が囲まれているらしい。

――どうしよう。あのクラッシャー達の命が狙われている。

男たちの耳に通信機が仕込まれていたのだろう。二人は耳を押さえて視線を交わした。
「了解だ。突入のカウントはメッセがとれ。他の客や店の者は殺すな。あとが面倒だ」
「さあて、ジェノサイド・パーティの始まりだぜ」

二人の男は店のメインエントランス方向へ走って消えていった。
自分はゆっくりと立ち上がった、つもりだった。
情けないほどに膝がガクガクと震えて、言うことを聞かない。
それでも無理やり両手で膝頭を押さえて、上体を起こした。

――自分はいったい、どうしたらいい?

すぐに、激しい射撃音が響き渡った。
続けて何かが爆発するような音とともに店のガラスが数枚割れてあたりへ飛び散った。
「くそ!」
震えが止まらない膝を拳で殴りつけ、自分は店の裏手へと走り出した。







 建物を震わすような爆発の後、ふたたび銃声、そして客の悲鳴、怒号が続いた。

静かな夜、グラスを傾け食事を愉しんでいた人々を襲った突然の悲劇。店は大パニックだ。
客やスタッフ、もちろんオーナーさえも、何が起きているのか分かっていないに違いない。

とりあえず、震える手を押さえながら、自分が警察へ連絡を入れた。
けれど治安の悪いことで有名なこの惑星では、警察の到着を待つだけでは生き延びることはできない。
――あと、自分ができることは?

ひとつ、大きく息を吸った。
あとは自分ができることを、信じることをやってみるだけだ。
自分は踵を返し、店の奥手にあるドアを目指した。

しばらくして、銃撃音が止んだ。
ほとんどの客とスタッフ達は、店の外に逃げ出したようだ。
不審者達も言っていたように「一般人を殺すと面倒」なのだろう。
もう、パーティは終わったのか?
「彼ら」も大勢の客達にまぎれて、うまく逃げ出してはいないだろうか?
自分は祈るような気持ちで、ホールへと続く通路を伺った。

ふたたび、激しい銃撃音が鳴り響いた。
それは・・・彼らが無事に逃げおおせている、という望みを断ち切る音だった。
しかしそれは逆に言えば、彼らが「まだ生きている」という証でもあるのか?

まだ自分はやつらに見つかってはいない。
ここですぐさま踵を返して店のドアを出れば、充分助かる望みはある。
けれど、どうしても自分にはそれが出来なかった。

店のスタッフとして客を助けるとか、おざなりの正義感とか、そういうものではなかった。
ただ……ただ、あの黒髪の青年の強い眼差しが脳裏から離れず、あの数百人もの命を救った英雄が、こんな辺境の惑星で殺されてしまうかもしれないことが、どうにも我慢できなかった。

自分と同じ年頃なのに、類稀な能力と名声を持つ青年。
この広い宇宙で、これからも彼を必要とする人はごまんと居るだろう。彼が救える人々は、まだまだたくさん居るんだ。

――そうだ、彼はこんなところで死ぬべきじゃない。
身代わりになれるものなら、身寄りの無い、将来も見えない、こんなちっぽけな自分がなるべきなんだ。
何故あの時、自分があんなにも熱く思ったのか……今、振り返ってみてもまったく分からない。
ただ、何かに突き動かされるように、自分はホールへと走り出していたんだ。







 ホールの照明は落ちて真っ暗だった。
通路も何箇所かライトが消えて非常灯が灯っている。

突然、腕を後ろ手にとられ、壁へ押し付けられた。
「!」
「動くな」
後頭部に硬い銃口があたる感触がした。恐怖で声すら出ない。
「まだ逃げていなかったのか?このうすのろめ」
煙草のヤニ臭い口が近づいて囁いた。
「とばっちりを食ってあの世に行きたくなかったら、さっさと店を出な。わかったか?」
がくがくと頭を振って応えると、いきなり通路へと突き飛ばされた。
自分は何か訳の分からないことを叫びながら、店の外へ通じるドアへと駆け出した。
後ろから嘲け笑うような声が聞こえ、唾を吐く音がした。

しかし、自分はドアを出るように見せかけて、咄嗟にすぐ脇の部屋に転がり込んだ。
治安の悪い街で十数年暮らしてきた。銃口を突きつけられたり、命の危険を感じたことは何度もある。
だが、やはり今回ほどの恐怖を味わったことは、無かった。
心臓が破裂しそうに早鐘を打ち、指先が白くなるほど二の腕を強く押さえても、身体の震えは止まらなかった。

――けれど。
何とかして彼らを助けなければ。
もうそれが、神から与えられた使命であるかのように、自分はうわ言のように呟いた。

その部屋は厨房へと続いていた。
途中、マグネットからハムナイフを取り、壁にかかっていたコックコートにくるんで脇に抱える。
厨房の窓の下あたりに人の気配があった。
カウンターの陰に隠れるように近づき、耳をすませる。

「ちっ。たかが二人ぽっちの丸腰のやつらに、何をグダグダ手間取ってる?」
くぐもった声はあきらかに苛立っていた。
「たかが二人とは言っても……相手はあのクラッシャーですよ」
若い声がうわずっていた。
「不意打ちをかけたつもりなのに、恐ろしい程やつらの反応が早すぎます。すぐにテーブルを倒してバリケードを築き、近づきすぎたタランドが殺られた。銃を手にした途端、すべての照明を破壊してホールはこのとおり真っ暗です。暗視ゴーグルを持ってくるべきだった」
「そんな大仰なもの、要るか!こんな作戦に」
拳で壁を叩く音がした。相当、頭にキてるらしい。
「いいか?見せしめに出来れば連れて帰ろうとしたが、作戦変更だ。即刻、ここで血祭りにあげていい。この建物は相当ボロいからな、重火器は使うな。後がヤバい」
――ボロいってなんだ。歴史的建造物だぞ。
この惑星でいちばん古いワインカーヴだった建物だ。今だって地下カーヴの広さは他に類を見ない。

「テラスに誘い出して、外で仕留めてもいい。とにかく、これ以上長引くと足止めしてるサツの野郎どもがウルサイからな。いいか?即刻、殺っちまえ」
警察も途中で足止めをくらっているのか。道理でサイレン音も近づいて来ないワケだ。まったく頼りにならない。

また銃撃音が響いた。
厨房の窓からそっとホールを伺う。銃撃の火花の位置から推測するに、彼らは最初に案内した窓際の席からさほど離れていないようだった。
また人の動く気配があった。会話をしていた二人が移動したらしい。
厨房からの観音の扉をうすく開けて、外を伺った。
彼らの居る窓際に近づくには、壁に沿って行くしかなさそうだった。
自分はひとつ、ゆっくりと息を吐いた。しばし、目をつぶって息を整える。

――それから。
厨房の扉をするり、と抜けてホールへと足を踏み入れたんだ。







 目が慣れてくるとホールは真っ暗というわけではなかった。
満月の夜、大きめにとったテラス窓から差し込む月の光は、店内をぼんやりと浮かび上がらせる。

ホールはメチャクチャだった。
椅子やワゴンが倒れ、グラスやカトラリー、ナプキンが床に散乱している。
客が残していったのだろう。バッグや上着、ストール、そして靴までもが散らばっていた。
「くそ!」
十年近く働いてきた店の惨状を目の当たりにして、やつらへの怒りがふつふつと湧いてくる。
パパッと入り口のあたりが光り、銃撃音が響き渡った。
咄嗟に床に突っ伏した。その姿勢のまま、壁際のマントルピースを目指して這い出す。
間近に聞こえる銃の音で、心臓が縮みあがりそうだった。

――こんな状況の中で、あの少女は大丈夫なのだろうか?
やっと目標のマントルピースへたどり着いた。この凹みに入って、とりあえず一息つこう。
そう思った矢先、先客が居ることに気付いた。
そして……相手も自分を確認したことが、分かった。

無我夢中だった。
殴りかかってきた相手を避けて足元に転がった。自分の身体につまづいて、相手がバランスを崩す。
手が何かに触れた。柄のようなものがついている。硬くて、重い。
反射的にそれを振り上げた。
それが体勢を整えた相手の頭に見事にヒットした。
低い唸り声をあげて、相手が倒れてきた。
――こ、殺してしまったのだろうか?

呆然と倒れた相手を見ていた自分の襟首が、いきなり掴まれて引きずられた。
「!」
抵抗する間もなくテーブルの陰に連れ込まれ、組み敷かれる。
冷たい銃口が額に当るのが、わかった。

「スタッフの格好をしてれば、俺が撃たないとでも思っているのか?」
落ち着いた、しかし冷酷な響きさえある男の声が言った。
額に汗が噴出した。何か言おうとするが、唇が乾いて声にならない。
「待って!」
かすかな、けれども凛とした声が響いた。
「ジョウ。その人、私達のテーブルをサーブしてくれてた人よ」
闇に溶け込んでいる彼とは対照的に、わずかな月の光をあびて浮かび上がる金の頭が目にはいった。
「・・・ほんとうか?」
闇の中で彼の黒い瞳が炯った、ような気がした。
自分は夢中で頭を立てに振る。
締め付けられていた襟元が緩んだ。息が通って、思わず咳込む。

それが合図のように、やつらが撃ってきた。
彼は咄嗟に自分の上に覆いかぶさった。そして、銃撃が止むとすっと上体を起こし、テーブルの陰からホールの中を窺う。
無駄の無い動き。まさに獣のようだった。

「どうしたの?逃げ遅れちゃったの?」
少女がわずかに首をかしげながら、自分を覗き込んだ。
とてもこんな修羅場の最中だとは思えない、愛らしい声で。
「自分は……」
掠れてはいたが、ようやく声が出た。
「あなた方を助けなければ、と思って……」

「余計なことをするな」
ぴしゃり、と彼が言った。
鋭利な刃物で身を切られるような、鋭い言い方だった。
前方を窺っていた黒い瞳が、ゆっくりと自分へ向けられた。
「足手まといだ。援護してやるからその窓からテラスへ降りて、とっとと逃げてくれ」





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