鈍い痛みで意識が戻った。

頭が割れるように痛い。うっすらと瞳を開けて見る。
まぶしさに目を細めていると、だんだんと空の青さが分かってくる。
そこへ・・・その空よりも碧く、深い色の瞳がふいに覗き込んできた。

「大丈夫?」
花の蕾のような唇から天使の囁く声がする。
(天使?ってことは・・・ここは天国か?)
そんなことをぼんやり考えていると、さらに天使が言葉を継いできた。
「ごめんなさい。あたしが慌てていて階段から落ちちゃったから、あなたを巻き添えに・・・」

――想い出してきた。
昼下がりの午後、丘の上にある公園目指し石階段を数歩上った。
階段を見上げた時、ひとりの少女が息を切らせながら下りてくるのが目に入った。
長いまっすぐな金色の髪をたなびかせ、白い頬をわずかに赤く上気させている。
印象的な碧い瞳は心なしか潤んでおり、その切ない表情に俺は・・・思わず立ち止まってしまったのだ。
と、その瞬間。
少女が履いていたブーツのヒールが、階段を踏み外した。

(天使が落ちてくる・・・!)
受け止めようと思う間もなく、ふたりは重なって転げ落ち、俺はしたたかに後頭部を打った。

体を起こそうと試みるが、少女が素早く身をかがめて止めた。
「動かないほうがいいわ。頭を打っている」
長い金髪がさらり、と俺の頬をなでた。
今度は心臓が割れるように鳴っている。

「君は…天使か?」
少女が碧い瞳を丸くする。
「綺麗だなあ。このまま死んでも悔いはない」
ぼんやりと素直な気持ちを口に出して言ってみる。
少女が思わず、噴き出した。
「なあに?新手のナンパ?」
「ひどいな、そっちが勝手に落っこちてきたんだぜ」
ふたりは声をあげて笑った。

わずかに頭を動かしてみると、階段下の石のベンチに寝ているのが分かった。
後頭部に小さなタオルが濡らして敷いてある。
「頭の出血はないようだけど、コブになっちゃってるの。気分はどう?」
「気分は…悪くない。頭と、そして胸が痛い」
現在の状況を正直に言う。
「胸?」と、少女はベンチに肘を付き、小首を傾げて覗きこんだ。
その愛らしいしぐさに思わず、質問の答えとは違う言葉を返した。
「さっき、なんで…泣いてた?」

少女がはっと身を固くするのが分かった。
「ケンカでもしたの?彼と」
カマをかけてみた。
少女がわずかに赤くなった頬を押えて、目を逸らす。
――図星だ。いきなりガックリきた。
(まあ、これだけ可愛いんだ。男がいても不思議じゃないよな)

「頬が赤いの、もしかして叩かれた?彼に」
「え…。ううん、ちがうわ。これは落ちたときにあなたの肩にぶつかって…」
少女は頬に手をあてたまま、俯くように言葉を継いだ。
「それに…逆よ。あたしがひっぱたいてきたの」
「へ?」
「態度が煮え切らないから、ひっぱたいてきたのよ」
少女はその状況を想い出したのか、少しムッとしながら答えた。

「ふうん。そうなんだ…。優柔不断なんだ、そいつ」
俺はまだ痛む頭に手をやりながら、ぼんやり言った。
「ちがうわ、即断即決よ。仕事はね!」少女は何故か胸をそらせてぴしゃり、と云う。
「でも、私のことになると…はっきりしないのよね」
最後の方は呟くように小さくなった。
「とても優しくて、すごく照れ屋で。でも、肝心なところで…あやふやなの」
長い金色の睫をふせる。
「はっきり、言ってくれないの」
「何を?」
「何をって…大事なことをよ」
少女はそんなこと言わせないでよ、という目で俺を軽く睨んだ。
まずい。慌てて、フォローを入れる。
「君のこと、好きだって言えないの?男の風上にも置けないヤツだな」

「そう思う?」少女は上目遣いに俺を見上げ、小さな吐息をついた。
「あたしの我儘なのかな、と思う時もあるんだけど」
金色の天使が肩を落としてうつむく。可憐な花がしおれてしまったようだ。
その切ないしぐさに、また胸が痛くなる。

「そんな…ヤツは振っちまって、俺と付き合おうよ」緊張で声がかすれた。
「俺、毎日でも君に好きだと云える。泣かせたりしない」
一気に口から言葉がでる。血が昇って、また頭が痛くなってきた。

少女は俺の言葉に本当に驚いたように、碧い瞳を見開いている。
と、みるみる白い肌が薔薇色に染まる。
「そ、そんなこと。真面目な顔して云われると…困るわ」
少女は両手で頬を包みしばしとまどっていたが、急にくすりと笑った。
「でもヘンね。本当はその言葉をずっと待っていたのに。いざ云われると困る、なんて」

「困ることなんて、ない。これからはそれが…自然だと思うようになるよ」
少女は頬を染めながらも、少し呆れたように俺を見下ろした。
「さっき会ったばかりの人に、よくそんなことスラスラ言えるのね」
「俺は<運命>を信じてるんだ」
「運命?」
「この惑星で出会って、ふたりで階段を落ちたのは<運命>以外のなんでもない。そうだろう?」
「そうかしら?」少女は含み笑いをする。
そして、碧い瞳がぼんやりと遠くを見る。

「ごめんね。もう<運命>は決めちゃったの」
「?」
少女は視線を俺に戻し、きっぱりと言った。
「彼の傍にずっといる…って、決めちゃったのよ」







俺はショックに打ちのめされて、しばし黙っていた。

やがて、重い口調で訊いてみる。
「どこが…そんなにいいんだよ?」
「全部よ」
少女がさらり、と言う。
「全部?」俺はちょっとムカついて、意地悪く訊く。
「煮え切らない、その優柔不断なところも?」
「…………」
少女が綺麗な形の眉を寄せ、口元に手をあてて考える。
そして初めて気づいたように言った。
「そうね…。そんなところも全部ひっくるめて、好きなのね。あたし」

ムカついていたのに、思わず噴き出してしまった。
少女もつられて笑った。
「参ったな。それなのに毎回ひっぱたかれてたら、いい迷惑だな」
「本当ね。これからは、手加減するわ」
ひとしきり笑ったあと、俺は静かに訊いてみた。

「でも…きみが傍にずっと居ても、彼が何も言ってくれなかったら、どうする?」
少女がふいに動きを止める。
碧い瞳が一点を見つめ、白い細い指が口元を押える。
まるで、声が漏れるのを防ぐように。

「ずっと、ずっと君は待っていて。歳をとって、おばあちゃんになっちゃうんだぜ」
「……そんなこと、考えたこともなかったわ」
「花の命は短いんだ」
俺がちょっと芝居めいた口調で言葉を継いだ。

「そうね…そうなっても」
少女は両手で自分の肩を抱くようにして、ベンチに身を伏せた。
細い金髪が肩から腕へと流れ、渦巻いて広がる。
「命尽きるまで、彼の傍に居るわ……」

「こんなこと言ったら、男の人って引くのかしら?」
再び、固まっている俺に向かって少女はいたずらっぽく笑って訊いた。
「いや…まあ、好意を持ってないやつから言われたら、確かに引くけど」
俺はこんな天使のような少女の唇から出た台詞に、只々驚いていた。
「でも好きな娘から言われたら、死ぬほど嬉しい」

「ほんと?」少女は小さく笑う。
そして華奢な肩をすくめて、言葉を続けた。
「私たち、死ぬの、命尽きるのって、物騒ね」
「確かに」今度は俺も少し笑った。

少女が突然、何かがふっきれたかのよう身を起こした。
俺はすがるように、少女を見上げた。
「彼の傍に帰るわ。自分で決めた<運命>の通りに」
俺の気持ちが聞こえたかのように、少女は静かに言った。

「でも、本当に病院に行かなくて大丈夫かしら?」
少女が心配そうに覗き込む。
「だめだ。今できた心の傷で悪化した」
俺は死にそうな声を出してみせた。
「そんな台詞がでるようじゃ、心配ないわね」
少女が笑って、立ち上がる。片目をつむって言った。
「救急車、呼んどくわ」
「つれないなあ」
思わず、ぼやいた。

「怪我させて本当にごめんなさい。でも、あなたと話せて良かった。ありがとう」
少女は少しかしこまり、恥ずかしそうに小さく言った。
「俺も生きているうちに天使に会えて良かったよ。もう、いつ死んでもいい」
俺は胸の上の両手を祈るように組み、死んだマネをする。
「ばかな人」
少女はまた愛らしく小首を傾げて笑い、そして俺に背を向けた。
「運命が変わったら、また会おう」
その細い後ろ姿に向かって、俺は声をかけた。
少女は振り向かないまま、小さく手を振った。


少女の後姿は、すぐ視界から見えなくなった。
俺は胸の上で手を組んだまま、しばらく目を瞑って、じっとしていた。
こうやって神妙に祈っていたら、また天使が現れるだろうか?

右腕を覆うように目の上に置く。少女の強く光る碧眼が思い浮かんだ。
知らず、小さく笑って呟く。
「運命って、自分で決められるもんなんだな…」


<END>




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