「私は断固として賛成できないよ」

温厚なドクター・ムトウが珍しく顔を赤らめてきっぱりと言い切った。
「賛成してもらう必要はない。ただこの退院手続き書類とやらにサインが欲しいだけさ」
ドクターの前に座るジョウは肩をすくめて腕を組み、目線だけで机の上の書類を指し示した。

 惑星グレーブにあるパスツール記念財団医科大学付属病院の一室。
沈んでゆく夕陽の陽光が、部屋の壁にくっきりと幾何学模様を描いている。
そしてその鈍い光が窓の方を向いて座るジョウの顔も浮き上がらせる。心なしか顔色が悪く見えるのはその光のせいだけではなかった。
「ドクター・ヌレエフが退院の許可を出したのは一週間後の予定なのだよ。それも指定された薬を投与しながら、しばらくの間は安静にして徐々に生活のリズムを取り戻すスケジュールだ。明日にでもこの惑星を発つなんてこと、私は決して許可できないよ」
もう何度くりかえしたか分からない説明をドクターは根気よく重ねた。
「ここで働いていれば君達クラッシャーがどんな仕事をこなしているのか大体分かっているつもりだ。運ばれてくる患者の怪我の度合いを見れば危険な仕事が多いことも一目瞭然だよ。おまけに君達のフィールドは地上ではなく、常に過酷な条件にさらされてる宇宙空間ときている。
未だ心肺機能が完治していないその身体では、はっきり言って自殺行為だ。私はみすみす君を死なせるなんてことはできないよ。クラッシャージョウ」
ジョウもドクターが本気で心配してくれているのはよく分かっていた。
また、自分の身体が完治には程遠く、この状態での仕事に無理があることも理解していた。
――しかし。彼らには悠長に構えていられない理由があるのだ。

「ただで死ぬつもりはない」
ジョウは小さくかぶりをふって言った。
「しかし、悠長なことも言ってられない。こうやっている今だって、あの悪魔が人類に向ける牙を研いでいる」
クリスの美しい笑顔を脳裏に浮かべて、ジョウは奥歯を噛み締めた。
「それに俺はクラッシャーだ。ふっかけられたケンカは請けて立つ。面子ってやつをつぶされたら、この世界では生きていけない」
「――意味の無い世界だ」
ドクター・ムトウがため息をつきながら、左右に首をふった。
「最初から世界に意味なんてないのさ。それにドクターだって売られたケンカは買うだろう?運ばれてきた患者が助からないようだったら、諦めるのかい?」
「そんなことはしない。出来る限りの技術と知識で最善を尽くすよ、不可能を可能に近づけるために。
そう、君を助けたようにね」
ドクター・ムトウはブラウンの瞳をまっすぐにジョウへ向けた。
ジョウはその視線を逸らすことなく受け止めて、浅く顎をひいた。
「本当にあなた方には感謝している。俺がここまで回復できたのもドクター達の真摯な治療と看護のおかげだ。この礼をドクター・ヌレエフやエドリア婦長に言えないのが、本当に悔しい」
ジョウは漆黒の瞳を炯らせ、唇をかみしめた。
ドクター・ムトウもあの凄惨な現場を思い出し、言葉を詰まらせる。
「クラッシャーの面子にかけても、ドクターの仇はとる。俺たちは俺たちのやり方で不可能を可能にしてみせるさ」

 しばしの間、睨み合いのように視線を交わしていたふたりだったが、ドクター・ムトウが先に視線を外し、うつむいた。
「クラッシャーの倫理は理解できない。しかし、罪なき人々を弄ぶように殺戮する輩には激しい憤りをおぼえるよ。そしてそれに臆することなく立ち向かえる君達が正直、羨ましい」
ドクター・ムトウは白衣の胸ポケットから万年筆を取り出し、おもむろにキャップを外した。
「私が出来ることは君の身体の心配と、そして君たちが宇宙の藻屑とならないよう、祈るだけだよ」
慣れた手つきで書類にサインする筆跡を眺めながら、ジョウはにやりと笑った。
「クラッシャーは宇宙で死ねるのなら、本望さ」
「君たちはよくそういう台詞を軽く口にするが。宇宙船乗りは生きて帰ってくるのも重要なことだよ。無茶はよくない。死に急ぐことは無いんだよ」

まるで息子を諭すかのような深い暖かい口調に、ジョウはしばしとまどった。
そして少し俯いて考えた後、静かに口を開いた。
「俺も仲間を預かっているリーダーだ。世間ではクラッシャーのことを命知らずだとか言っているようだが、俺たちもドクターのようにあらゆる知識・経験・技術を駆使して、仕事にあたっているつもりだ」
ジョウが一語ずつ区切るようにゆっくりと言葉を継いだ。
「もし、俺が命を懸けるような無茶をするとしたら、それは間違いなく仲間を救う時だろう。それ以外で簡単に命を投げ出すつもりはない」
ドクター・ムトウは机についた左手に顎をのせ、ジョウの言葉にじっと耳を傾けていた。
「それを聞いて少し安心したよ。君たちの宇宙船にマーキングしてある『彗星』のように輝きながらも宇宙を駆け巡り、必ず生きて戻ってきてくれたまえ」

ドクター・ムトウはサインし終わった書類をジョウに手渡した。
ジョウはちらと書類に目をやり、おもむろにスツールから立ち上がる。
「またここに戻って来ることがあるとしたら。―その時はかなりヤバイ状態だ」
「何度運ばれてきたとしても、私たちは最善を尽くすよ。不可能を可能にしてみせるさ」
ドクタームトウが肩をすくめて手を差し出した。
ジョウがその手をしっかりと握り返し、口の端を上げて笑った。
「プロフェッショナルは話が早くていい」

 部屋のドアの前で、ふとジョウが振り返る。
「言い忘れたが、ドクター」
手元のカルテに目をやっていたドクター・ムトウが顔を上げた。
「俺たちの宇宙船にマーキングされているのは『彗星−Comet−』じゃなく『流星−Meteor−』だぜ」
漆黒の瞳を面白そうに細めてみせる。
「決められた軌道を巡るのは、性分に合わないんでね。『流星』は同じように輝いて宇宙を疾るが、やがて軌道を外れて大気へ飛び込む。最後の一瞬の輝きが重要なのさ」
ジョウは軽く手をあげて、ドアを閉めた。

 夕陽が山陰に沈み、部屋の中には宵闇が忍び寄る。
独り残されたドクター・ムトウは、深く息を吐きながら窓の外を見遣った。
群青から藍へと変わりゆく天空に強い輝きの星が瞬き始めていた。

――今年の流星群はいつ頃やって来るのだったかな・・・。

そんなことを考えながらふっと笑い、万年筆のキャップをとじた。



<END>




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