「なんだかさあ、またアルフィンの機嫌悪くない?」 リッキーが動力コントロールボックスのシートから身体を起こしながら言った。両肘をつき、顎を手のひらに乗せて前の主操縦席を覗き込む。 「はん。いつものことじゃねェか。そういう時は頭を低くして嵐が過ぎるのを待つだけよ」 主操縦席に座るタロスはその巨体を丸めてコンソールに屈み込み、パイロットシステムのチェックに没頭していた。 「それより随分と余裕かましてるが、動力機関のチェックはもう済んだのか?それとも今回はおめェもミネルバと一緒にドック入りか?まあ、一度そのピーマン頭をパク・ソンに診てもらうのも悪くはねェがな」 一度も振り返えらずに繰り出される毒舌に、リッキーは身を乗り出して喚いた。 「黙って聞いてりゃなんだい!タロスの方こそ、そのド頭ごとオーバーホールしてもらえよ!」 「なんだと?やるのか、このクソチビ!」 「へん、望むところだ!」 ふたりがそれぞれのシートから勢いよく立ち上がった。 クラッシャージョウのチームは銀河標準時間で四時間程前にひと仕事を終えていた。今回の要人護衛の任務は多少の戦闘はあったものの、契約期間内に無事に完了していた。 現在は惑星ランドックの軌道上で船体・機関の修理箇所のチェック中であった。それぞれの担当部署を手分けしてチェックし、必要な箇所はドルロイで修理を受けるのだ。 仕事終了の直後でそれぞれ疲れが溜まっているところだが、これさえ終われば晴れて何ヶ月ぶりかの長めの休暇に入れる。 メンバーの気持ちも緩み、それなりに機嫌もいい筈だった。 ――そう、アルフィン以外は。 勢いでシートから腰を浮かせた二人だったが、いつものアホらしいケンカの仲裁に入る者も無く、どちらからともなくシラけて腰を戻した。 「おめェに付き合ってる暇はねェ。早いとこチェック済ませて、ゆっくり寝るさ」 「お、俺らだって。タロスが独りで寂しそうだから、居てやってんだぜ」 「誰もそんなこと頼んじゃいねェ」 タロスが凄みのある顔で少年を一瞥し、コンソールに向き直る。 「だってさあ。兄貴はクライアントのとこに最後の挨拶に行っちゃったし。アルフィンはあの通りなんだか怒ってるし」 リッキーは再び頬杖をつき、つまらなそうに口を尖らせた。 「まあ、大体予想つくんだけどねー。どうせ、兄貴が原因なんだ」 どんぐりまなこをくるくると廻して、肩をすくめてみせる。 「兄貴もアルフィンのことになると、からっきしダメだねぇ。俺ら、ちゃんとレッスンしたのになー」 「へっ。ガキが偉そうによく言うぜ。おめェにレッスン受けるなんざ100年経ってもあり得ねェ」 「なんだよ!タロスだってたまには純真な少年の言葉を素直に聞いたらどうなんだよ!そんなひねくれ者だから、いつまで経っても独りなんだぜ!!」 「おおきなお世話だ!好きで独りで居るんじゃねェ。こちとらだって色々事情があったんだ!」 タロスが咄嗟に振り返り、低いだみ声で怒鳴り返した。 「へー。どんな事情だよ?」 「うー」 リッキーの思わぬつっこみに、珍しくタロスが言い淀む。すかさず、リッキーが追い討ちをかけた。 「あれー?ざーとらしいよ、タロス先生。まるで昔になにかイイ思い出でもあったみたいな素振りしちゃって……」 タロスは言い返そうと歯を剥き出したが妙に虚しくなり、鼻をならして主操縦席に向き直った。 「まあ、おめェみたいなガキにはまだ分からねェと思うが。そのうち何かを選んで、何かを置いていかなきゃいけない時が来る」 予想とは違うタロスの反応に、リッキーはしばらくとまどっていた。 タロスはコンソールには屈み込まずに上体をシートにもたせかけ、太い腕を組んでメインスクリーンを見上げていた。 そしてわずかに首を右に傾げコキリ、と音を鳴らす。 リッキーがそんなタロスの後姿を見つめたまま、少し掠れ気味の声で訊いた。 「何かを置いてって……何を置いてきたんだよ?」 「……」 「それって。もしかして女の人かい?」 タロスはしばらく何も答えなかった。 リッキーもそれ以上訊くのもどうかと思い、所在なく黙っていた。 と、タロスがぽつりと話し出した。 「昔、一緒になってもいいと思った女がいたがな。色々事情があって、最後はそいつを選ぶかクラッシャーを選ぶか、ってことになったんだ」 タロスがわずかに顎をあげ、メインスクリーン見ながら言葉を続けた。 「で、俺はクラッシャーを選んだからこうしてクソガキのお守りをしてるってワケよ」 少し自嘲気味の短い話を、しかしリッキーは冷かせなかった。 「なんで両方選ばなかったんだよ?タロスはそんなに図体デカいんだから両方持ってこれただろ?」 「アホ。図体の問題じゃねェ。もうちっとデリケートな問題なんだ」 タロスはちらり、と呆れた視線をリッキーに投げかける。 「もう行く先が違ってたんだな。そいつと一緒になるなら、クラッシャーの道は選べなかった。この世界は険しすぎてな、連れて歩くには酷なところだった」 リッキーは少しの間ためらっていたが、おそるおそる小さい声で訊いてみた。 「後悔……してるのかい?」 その問いにタロスはしばし考え込んだが、やがてゆっくりと口を開いた。 「いいや。後悔したことはねェな。俺にはもうクラッシャーの道しか見えて無かったからな。 だがこう、もう少し周りを見まわす余裕があれば、違った道や方法が見つけられたかも知れんな」 自分の若かりし頃の姿を思い描くように、タロスはブラックアウトしたままのスクリーンを見つめた。 「しかし、あの頃はそんな余裕は無かった。まだクラッシャーがならず者の集団として叩かれてた時代だ。多少胡散臭い仕事も受けてこなさなきゃならなかったし、休暇などのんびり取ってる暇も無かった。色恋沙汰なんざ、二の次だったもんよ」 タロスは少し口の端をあげて、小さく笑った。 「だがな、今の時代は違う。ちっとアラミスがうるさくて窮屈になりはしたがな。その代わり組織として一般に認められつつあるし、仕事も堅くなってきた。昔ほど肩肘張って男を気取る必要も無い。ジョウやおめェはクラッシャーの仕事を楽しみながら、自由に生きていけばいい」 いつもより饒舌なタロスにいささか驚きながらも、リッキーは黙って聞いていた。 「随分と道が良くなってきたもんだぜ?俺たちが苦労してならしてきた甲斐があってな。おめェみたいなトンチキでも転ばずに何とか歩いて行ける筈だ」 いつものふざけ口調に戻ったことで、少しほっとしてリッキーも軽く言い返す。 「タロスもいっちょ前に人生、苦労したんだねェ。ま、議長やガンビーノの苦労には感謝するよ」 「俺にも感謝しとけ!」 タロスが腕組みしたまま振り返り、歯を剥き出した。 「俺らは……どちらかなんて選べないよ。だから両方持っていく。置いてゆくなんてことしたくないよ」 リッキーが頬杖をついたまま真面目な顔をして言った。 「……あの嬢ちゃんか?」 「もし付いてきてくれるなら、だけどさ」 少年は少し顔を赤らめながら言う。 「出来るなら、そうしたらいい」 タロスが低い声で静かに答えた。 「しかし、大切に想うものはそれだけ重いぞ。半端な鍛え方じゃあ、それを担いで前には進めん」 「ククルも仲間も、何もかも捨てて出てきたけど。もう大切なものを失うのは嫌だ。どんな重いものでも担いで進めるように、俺ら今のうちから鍛えとくよ!」 リッキーがその薄い胸を張って答える。 「いい心がけだ。まあ、おめェみたいになーんも考えないバカの方が逞しく生きれるもんだ」 「なんだよその言い草!今回はちょいとタロス先生の言葉、見直したのにさ……」 リッキーが口を尖らせ、顎を乗せていた手を大きく振りかぶって頭の後ろに組んだ。 「はん、ちったあ勉強になったか?」 タロスが凄みのある顔を歪ませ、面白そうに笑った。 「俺のレッスン料は高けェぞ?」 ジョウがクライアントとの最後の手続きと挨拶を終え、ミネルバに戻ってきたのは夕刻過ぎのことであった。 ブリッジに行く途中、飲み物でも取ろうかとキッチンのドアを開けた。 と、そこには食事の支度をするアルフィンの後姿があった。 「アルフィン。ここに居たのか」 「なによ?居ちゃ悪いの?」 ジョウの方を振り返りもせず、アルフィンがとげとげしく答える。 いつもならばジョウがミネルバのタラップを昇っている途中にでも、その長い金髪をなびかせて飛びつき出迎える彼女だが、ここ数日間というものアルフィンの態度は零下五十度より上がることは無かった。 「……いい加減、機嫌直せよ」 ジョウはため息をつきながら腕を組み、ドアの脇の壁にもたれかかった。 「だから謝ってるだろ。ちょっと……気が緩んだんだ」 少し言い訳がましいチームリーダーの言葉に冷ややかな声がかぶさる。 「気が緩んだ?敵との戦闘中に?特Aクラッシャーが聞いて呆れるわ」 「い、いや。ほらケガで出血も多かったし。気がついたら……気が遠くなってた」 ジョウの歯切れの悪い台詞が続く。 と、ペティナイフを持ったままアルフィンが振り返る。炎のような碧眼が鋭くジョウを射抜いた。 「よく言うわ!すーすー気持ち良さそうに寝息なんかたてちゃって。ずっとあたしの上で寝てたのよ!?リッキーたちが救出に来るまで重くて身動きさえ出来なかったあたしの気持ちが分かる?気を失ってたなんて台詞、言わせないわ!!」 「う……」 アルフィンの尋常ではない剣幕に、ジョウは返す言葉が無かった。 先日の戦闘中にアルフィンの操る<ファイター2>が被弾して爆発炎上した。 間一髪で彼女を助け出したジョウは爆発した機体の破片で額に傷を負った。 さほどの出血はみられなかったが極度の緊張が解けたのと、ここ数日の不眠がたたって彼はアルフィンをその腕に抱いたまま・・・眠りこけてしまったのだ。 アルフィンは力の抜けたジョウの身体の下敷きとなり、リッキーに引きずり出されるまでの間ずっと呪いの言葉を吐き続けていた。 ――それ以来、ジョウに対する彼女の態度は、ずっと零下五十度を維持していたのであった。 その時タイミングよくキッチンのドアが開き、ドンゴが入ってきた。 「あるふぃん。ゴ注文ノ品ガ見ツカリマシタ。キャハ」 両手のマニュピレータで器用にスープストックの缶を抱え、キッチンテーブルの上へ置く。 二人が決まり悪そうにドンゴを見遣った。 ヘンなところに気が利くロボットは瞬時にキッチン内の空気を分析し、状況を判断する。 「キ、キャハ。ワタクシメハコレニテ失礼シマ……」 「待って!ドンゴはここに居ていいわ」 アルフィンがすかさずロボットに命令した。ジョウと二人きりの気まずい雰囲気の中で、ドンゴというワンクッションを置こうと思ったのだ。 「デ、デモ……」 「いいから!食事の用意を手伝って!」 言い終わると同時にアルフィンはくるりとジョウに背を向け、調理を再開した。 正式な用事を言いつけられたからには拒否する理由もないドンゴは、しぶしぶとキッチン奥に進み、調理補助の任務につく。 しかし、ふとチームリーダーの方に頭部を回転させ、アンテナを動かした。 「じょうニハ急激ナ発汗作用ガ見ラレマス。マダ不眠ハ続イテイルノデスカ?」 「ぐっすり寝てたわよ!」 ジョウが答える前にアルフィンが冷たく言い放つ。 「じょうハ150時間程前カラ極度ノ不眠状態ガ続イテイテ、著シク集中力、瞬発力ノ低下ガミラレマシタ。現在モ血液中ノ酸素量及ビ心拍数、呼吸数ガ安定シテイマセン」 「え?」 アルフィンがドンゴの言葉に振り返った。その碧い目からは鋭さが消え、代わりに心配そうな光が宿った。 「ジョウ。ずっと……具合が悪かったの?」 「え?い、いや」ジョウは思わぬ展開に、慌てて組んでいた腕をほどいた。 「不眠って。眠れなかったの?ずっと?」 アルフィンは小さな拳を口元にあてて素早くジョウに近づき、心配そうに覗き込んだ。いきなり目の前に現れた煌く碧眼に、ジョウはどぎまぎして答える。 「まあ……ちょっと、な」 「何か悩み事でもあったの?」 「うー。まあ、そんなもんだ」 ジョウは言葉を濁して、癖のある黒髪に手をやる。 「なんで、何も言ってくれないの?」 「え?」 「ひどいわ」 アルフィンが心なしか瞳を潤ませ、一層ジョウに顔を近づけた。 「ジョウって、いつも独りで抱えこんじゃって。何で私たちに相談してくれないの?そんなに私たちって頼りない?」 「い、いや。そういう類のことじゃなくて……」 「じゃあ、どういう類のことなのよ!?」 アルフィンに詰め寄られ、逃げ場を失いつつあるジョウにドンゴが助け舟を出した。 「キャハ。何カ悪イ夢デモ見マシタカ?」 「そ、そう。そんなんだ!どうも最近、夢見が悪くて……」 「そうなの……?」 アルフィンが訝しげに首を傾げる。 「あ、ああ」ジョウが慌てて何度も頷いた。 「キャハハ。オ任セ下サイ!!」 と、そこへドルロイ製万能型ロボットが自信たっぷりに割り込んできた。 「へ?」 「ワタクシ最近『夢判断』ニ凝ッテマシテ」 「…………」 「そうなの?ドンゴ、すごいじゃない!ね、ジョウ、さっそく夢の内容をドンゴに分析してもらいましょ!不眠の原因が何か分かるかもしれないわ!」 占いとか人相学とかこの手の話題が好きなアルフィンは、すぐさま胸の前で両手を合わせ目を輝かせてはしゃぐ。 「ワタクシノ豊富ナでーたデ、じょうノ悩ミヲ即時ニ解決デキルニ違イアリマセン!キャハハ」 まだ話の内容も聞いていないのに、ドンゴは随分と安請け合いをした。 「い、いや。もう大丈夫だ。最近、眠れてる」 怪くなってきた雲行きに慌てて両手を振るジョウ。また体中から嫌な汗が噴き出してきていた。 「だめよ!いっつも三秒で寝てるジョウが不眠だったなんて、大変なことなのよ?自分では気付かないストレスが積み重なっているのかも知れないわ!」 そんなジョウの発汗作用を知る由もないアルフィンは素早く彼の腕をつかんだ。 「ソウデス。すとれすガ原因デ重大ナ事故ヲ引キ起コス可能性大デス。『夢判断』ハ人間ノ深層心理ニオケル本人ノ意識ヲ読ミ取リ、分析シテ悩ミノ原因ヲ特定スルノニ役立チマス。ソレニヨリ最善ノ対処方法ヲ引キ出スコトガ可能トナリマス。キャハ」 ドンゴの言葉にアルフィンが何度も頷く。 ジョウは腕を把られたまま、壁伝いにドアの方へ体をずらせた。無意識に逃げ道を探してるらしい。 「それで?何の夢を見ていたの?」 アルフィンが先ほどの不機嫌さは何処へいったやら、ウキウキとした口調で訊いてきた。 「い、いや……あんまし覚えてないなあ」 ジョウが額に噴き出した汗をぬぐう。確かにまた体調が悪くなってきたような気がした。 「うそ!そんなに三日も眠れないほどの悪夢だったんでしょう?何かぼんやりでも覚えてる筈よ!色はついてた?どんな場所に居たの?」 アルフィンが碧眼を光らせてジョウの目を覗き込む。腕はしっかりと掴んで放そうとしない。 「毎回決マッテ出テクル人物ハ居マシタカ?」 「え……」 ドンゴの的確な誘導質問にジョウの心拍数が急上昇する。 ――まさに不眠の原因はそこにあった。 毎晩目を瞑るとあらわれるアルフィンのあられもない姿に悩まされ、ジョウは数日間充分な睡眠を取ることが出来なかったのだ。 「誰?誰が出てきたの?」 アルフィンの問い詰める語気が心なしか強くなる。 「い、いや」 「言えないの!?」 「だ、だから……」 「身近ニ居ル人物デスカ?」 どうやらドンゴは、一応忠実に『夢判断』のソフトに沿って質問を繰り出してきているらしい。 「身近?それって……」 ドンゴの質問にアルフィンの方が素早く反応した。 「もしかして……あたし?」期待を込めてジョウを覗き込む。 ジョウは瞬時の選択を迫られていた。 ノーと答えたらアルフィンは怒り狂い、誰が出てきたのだと問い詰めるだろう。 イエスと答えたならば、とりあえず喜んで機嫌を直すかも知れない。 即断即決を旨とする特Aクラッシャーは迷わず、後者を選んだ。 「あ、ああ」 壁にぐったりと身体をもたせかけ、ジョウは力なく頷く。 「ほんと!?」 対してアルフィンは顔をぱっと輝かせ、飛び上がらんばかりに喜んだ。 とりあえずの危機を脱し、ジョウは大きく吐息をついて額にかかる汗ばんだ髪を掻きあげた。 ジョウの回答を傍らのロボットは頭部ランプを点滅させて冷静に分析している。やがて質問を開始した。 「ドンナ状況デシタカ?」 「は?」 「仕事中デシタカ?」 「いや」 危険を回避した気の緩みからか、ジョウはつられて答え出した。 「二人キリデシタカ?」 「ああ」 「何カ会話ハアリマシタカ?」 「別に」 ドンゴのLEDランプが忙しく点滅する。 「服ハ着テイマシタカ?」 「ぶっ」 ジョウが思わず噴き出し、壁からずり落ちそうになる。傍らのアルフィンはというと身体を強張らせ、その瞳が大きく見開かれていた。 「ドンゴっ!なんだ、その質問はっっ!???」 体温が一気に上昇し、ジョウの頭に集団で血が昇った。ずり落ちかけた体勢を立て直し、ロボットに向って喚く。 「キ、キャハ。青年男子ノ心理状況ヲ元ニ、そふとガ組ミ立テタ形式通リニ質問シテイルノデスガ?」 あまりのジョウの剣幕にドンゴが恐れをなしてわずかに後退する。 続けてロボットを怒鳴りつけようとジョウが口を開きかけたところに、アルフィンの冷静な声が遮った。 「着てなかったの?」 ジョウの動きがはた、と止まる。 「どうなの?ジョウ」 「い、いや……」 咄嗟の言い訳の言葉が見つからず、ジョウの視線が宙を泳ぐ。背中を嫌な汗が伝い流れた。 ――次の瞬間。 派手な音がしてジョウの横面が張り飛ばされた。いつものアルフィンの目にも止まらぬ平手打ちだ。 「最低っ!!」 吐き捨てるような台詞とともにくるり、と踵を返す。 「あ、あるふぃん。コレハ青年男子ノ睡眠時ノ夢トシテハ、至極正常ナでーたデシテ……」 さすがのドンゴもマズイと思ったのか、張り飛ばされたチームリーダーのフォローの為にあたふたと解説をし始めた。 しかし、その説明はとうとう最後まで聞き入れられなかった。 「うっさい!ポンコツ!!」 アルフィンの足が瞬時にドンゴの胴体を蹴り倒した。合金製のロボットが派手な音をたてて床に転がる。 可愛い顔からはとても想像できない台詞を毒づきながら、彼女はキッチンから嵐のように去って行った。 大きなパームツリーの元でリッキーとタロスは爽やかな潮風に吹かれてまどろんでいた。 銀河系の海洋リゾートのひとつとして知られる惑星アーリアのセントアクア・ビーチ。 規模は小さいながらも良質の白砂と砂浜近くに林立するパームツリー、そして遠浅の紺碧の海が人気の秘密であった。 あまり人気のない砂浜から聞こえる潮騒が耳に心地よい。 「くはー。やっぱ休暇は最高だねェ」 リッキーが寝返りをうち、タロスの腹の上に頭を乗せた。 「けっ。若けェのに何ジジむさいこと言ってやがる。どきな!暑苦しいぜ」 「いいじゃん。タロスのこの腹の肉の具合がいいんだよねー」 「ぬかせ!」 タロスも面倒くさいのかそれ以上毒づくのはやめて、リッキーを腹の上に乗せたままにしておいた。 と、砂を踏む足音が近づいて来る。 「リッキー」 チームリーダーのジョウがパームツリーの影に入ってきた。よく日焼けした肌にツリーの葉陰が映る。 シャープなデザインのサングラスをおもむろに取り、ちらとタロスに目配せした。 「おい、どきな。ちょっと冷たいものでも飲んでくらあ」 リッキーの頭を乱暴に砂の上に落とし、タロスが立ち上がる。 「いってー!なんだよ、いきなり!」 喚く少年を振り返りもせず、タロスはゆうゆうと砂浜を歩いて遠ざかる。 その後姿を見送ってからジョウは腕を組み、足元に転がっている少年を見下ろした。 「リッキー、休んでるとこ悪いがな。急な仕事が入った」 「ええー!?」 リッキーはそのどんぐり眼を飛び出さんばかりに見開き、歯を剥き出して喚いた。 「な、なんで?今日から休暇に入ったばっかじゃん!兄貴まさか、請けたのかよ!?」 「まあ、落ち着け。馴染みのクライアントからでな、どうも断りきれん」 「そんなあ……」 「しかし、その分仕事は簡単だ。これから240時間に渡っての護衛任務」 そしてジョウは面白そうにその漆黒の瞳を細めてみせた。 「しかもお前ご指名だ」 「はあ?」 なんとも間の抜けた声でリッキーが答えた時。 後ろから鈴を転がすような笑い声が聞こえた。 「そうよ。これから10日間、ずっとあたしの護衛よ」 慌てて後ろを振り返るリッキーの目に、ひとりの少女の姿が映った。 ほっそりとした容姿をオレンジパールに光るセパレーツの水着で包んでいる。高い位置のポニーテールが少女の笑い声と共に快活に揺れた。 「ミミー!?」 リッキーがあり得ないものを見たかのように口をあんぐりと開け、その少女を指差す。 「びっくりした?そうよね、とんだサプライズ・プレゼントだわ」 少女の後ろからチェリーピンクのワンピースの水着を着たアルフィンが顔を覗かせた。 「だ、誰が……」 「誰がクライアントかって?」 ジョウが笑いを噛み殺しながら、砂浜の方に顎をしゃくった。 「昔っからの馴染みなんで、断り切れなかったよ」 「あたしもびっくりしたわ!いきなりアルフィンから連絡があって、一緒にバカンスを過ごさないかって。ちょうどスクールも夏休暇の時期だったから、すぐにオッケイしちゃったの!」 ミミーが嬉しそうにその瞳をきらきらと輝かせてはしゃぐ。 アルフィンが片目をつむってその後を引き継いだ。 「タロスがね。ホテルや旅券をぜーんぶ手配したくせにね、ミミーに連絡するのだけは恥ずかしいから出来ないって。あたしに連絡してくれって頼むのよ。可笑しいでしょ?」 ふたりの少女が申し合わせたように、また笑い転げた。 しばらく独りで呆けていたリッキーは突然我にかえり、耳まで真っ赤になって喚いた。 「あんの……おせっかい野郎!」 そしてあっという間に砂を蹴り上げ、砂浜へとダッシュした。 「あ、おい!」チームリーダーが止める暇もなく、その姿が小さくなる。 「やーねぇ。いきなり任務放棄だわ」 アルフィンが腰に手をあてて、肩をすくめた。 遠くのビーチ・バーでタロスの背中に飛びつくリッキーの姿が見える。 「素直じゃないな」 ジョウが目を細めながら呟いた。 「素直じゃないわ」 アルフィンも可笑しそうに口元に手をやる。思わずふたりが顔を見合わせて笑った。 と、アルフィンが思い出したかのように眉をひそめ、そっぽを向く。 (まだ怒ってんのかよ……) ジョウがげんなりとして前髪を掻き上げようとした時、向かいに立つミミーが声をかけた。 「あら?ジョウ。頬に大きな傷があるわ。大丈夫?」 先日のキッチンでアルフィンにもらった引っ掻き傷であった。ようやく平手打ちの腫れがひいたところだが、爪の傷痕は治りが悪い。 「う。まあ……かすり傷だ」 「危ない仕事ばっかりだもんね。気をつけてね」 「…………」 「そ、そうだ!ミミー、ここってば海も素敵だけど、すっごく充実したショッピングモールもあるのよ!これから行かない?」 アルフィンが慌てて話題をそらそうと、いきなり提案する。 「きゃあ!ほんと?行きたーい!買い物したかったんだー」 二人の少女はお互いの行きたい店などをあげてはしゃぎ始める。 「お、おい、アルフィン。それは……マズイだろ?」 ジョウが慌てて今回の仕事の目的を説明しようとするが、アルフィンの鋭い碧眼に睨まれて黙るしかなかった。 呆然とするチームリーダーを尻目に、浮かれた少女たちは足取りも軽やかにホテルの方に歩き出した。 ジョウはなすすべもなく、その後姿を見送っていたが。 いきなり両手でその癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。 「くそ!知らんぞ!仕事がなんだ!夢がなんだ!」 意味不明の言葉を吐き、どすんと砂浜に腰をおろした。 そしてそのままサングラスを掛けなおし、ビーチマットに仰向けに横たわる。無関係を装い、狸寝入りを決め込むことにしたのだ。 と、そのタイミングを見計らったかのように。 遠くから純真な少年の声が風に乗って流れてきた。 「おーい、ミミー!ひと泳ぎしに行こうー!」 少年の蹴った白い砂が、アーリアの空気にしらけた。 |
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