――どうしてこんなとこに来ちゃったんだろう? アルフィンは細いグラスの縁に白い指をはわせながら、ぼんやりと考えた。 すっかり気泡の抜けたその黄金色の液体が、店内の薄暗いライトをうけて鈍く光る。 「どうした?置いてきた男のことが気になるか?」 そのグラスの向う側、対面に座る男がおもむろに口を開いた。言葉の端にわずかにからかうような響きを含ませて。 「関係ないわ」 アルフィンはつんと顎をそらせ、細い指先で金髪をかきあげた。 男は唇の端を分からない程度にあげて薄く笑ったようだった。 しかし、シガーを挟んだ指がすぐにその口元を隠し、男の表情はよく分からなかった。 天上から下がる蜘蛛の糸のように指先からゆらり、と紫煙が立ち昇る。 アルフィンはしばらくその煙の動きをぼんやりと眺めていたが、再び自分のグラスに視線を落とした。 「・・・どうして何も訊かないの?」 男は少しの間じっと目の前の少女を眺めていたが、やがて面白そうに目を細めて答えた。 「訊いてほしいのか?」 「べつに。そんな訳じゃないケド・・・」 「女は何でも訊きたがるが」 男はシガーを挟んだ指で軽く額を押えた。 「その上、話を訊いて欲しがる」 アルフィンは形のよい眉を僅かにひそめ、男を軽く睨んだ。そしてすぐに視線を外す。 仕事と仕事の合間に偶然取れた2日間の休み。 その限られた休暇は到底バカンスと呼べるものではなかったが、皆の気持ちをほぐす上では貴重な時間だった。 早速、燃料と物資の補給で降りたこの惑星で、メンバー達はそれぞれ短い休日を楽しむためにミネルバを降りた。 ――その折角の休日の出だしで。 ささいなことでジョウと言い争ってしまい、一緒に入ったカフェを飛び出してきてしまった。 彼の方もいつものことだとでも思ったのか、すぐに追いかけてくる様子も無い。そのことが余計にアルフィンの気持ちを逆撫でした。 いつもなら近づかないような裏通りのパブへと独り飛び込んだ。午後とはいえまだ明るい時間であったが、少し呑んで気分を変えたかったのだ。 しかし、そこでアルフィンは酔う事はできなかった。 店は思った以上にガラの悪い連中がたむろしていた。そんな輩が店に独りで飛び込んできた美少女を見逃すはずも無かったのだ。 「おう、えれぇ綺麗な『ちょうちょ』が迷い込んできたもんだなあ」 スキンヘッドの大柄な男がすぐに目の前のテーブルにつく。 「護衛の蜂<ナイト>はいないのかい?」 首をそらせて入り口の方をわざとらしく見遣る。 アルフィンは先ほどのことを思い出したのか、むっとして言った。 「置いてきたわ。どうでもいいでしょ、そんなこと」 ひょろりとした痩せ過ぎな男が、下卑た笑いを浮かべてグラスを片手に近づいた。足元がおぼつかない程酔っているらしい。 「こんなところに迷い込んだら、あっという間にスパイダーに喰われちまうぜ」 アルフィンはガラの悪い男たちに一瞬怯んだが、気丈な性格が彼女をとどまらせた。 「うっさいわね。向うに行ってくれない?」 碧眼を光らせて臆することなく睨みつける。 「おお、こえぇこえぇ。綺麗なものには棘があるっていうのは本当らしい」 スキンヘッドの男が大袈裟にその小山のような肩をすくめてみせた。 「しかしそんなかよわい棘じゃあ、ここらのスパイダー達はびくともしないぜ」 そしてそのグローブのような手でいきなり少女の細い手首を掴む。 「何すんのよ!」 その台詞も終わらぬうちにスキンヘッドの男の手首を逆手に取り、捻り上げる。無粋な男の悲鳴が店内に響き渡った。 周りの男達が一斉に振り返り、そのうちの何人かが席を立った。 「おおや。なんとも勇ましい『ちょうちょ』だなあ」 先ほどの酔った痩せすぎの男が、ふらついて壁にもたれながら冷やかした。 アルフィンは男の手を捻り上げたまま、反動を利用して前のテーブルごと突き飛ばした。上に載っていたグラス類が派手な音をたてて床に散らばる。 「こんな気分の悪い店、出るわ」 捨て台詞のように言葉を吐き出し、椅子にかけていたバッグを取った。 しかし、その周りを瞬時に数人の男達が取り囲んだ。 「おっと。そんな派手な立ち回りしておいて無事に帰れると思ってんのか?」 小柄だががっしりした体躯の男が、目を細めながらにじり寄る。 さすがのアルフィンの顔にも一瞬怯えが走り、思わず一歩下がった。背中にはひんやりと冷たい壁があたる感触。 「可哀想だが、すっかりスパイダーの巣にひっかかっちまったようだなあ」 壁にもたれた酔った男が嘲笑うように言った。 小柄な男がさらに一歩擦り寄った時。 アルフィンが手にしたバッグを顔面を狙って振り上げた。 ヒットしたと思った瞬間男は腕でブロックし、その腕の勢いを殺さずにアルフィンを壁に押さえつける。 首を押さえ込まれた太い腕から必死で抜け出そうともがいてみるが、華奢な少女の力では到底かなわなかった。 「さあて。どう料理してやろうかな」 綺麗な蝶を取り込んだ男は、舌なめずりしながら少女の耳元に顔を近づる。 酒臭い息が間近でかかり、アルフィンは思わず目をつむり、顔をそむけた。 これから開かれるパーティを予想して、周りの男達が立ち上がって囃し立てた。 と、いきなり店内の薄暗い照明が落ちた。騒いでいた男たちが一瞬息を呑む。 「がっ」 鈍い呻き声がして、重い砂袋が転がるような音が響いた。 アルフィンは自分の首を押さえ込んでいた腕が離れたのが分かった。 力が抜けてもたれかかった壁沿いにずるずるとへたり込む。 すると、耳元で低い男の声がした。 「出るぞ」 その声が終わらぬうちにアルフィンの身体はひょいと抱えられた。 「な・・・!?」 我に返って足をばたつかせるが、男はほとんど疾走するように暗闇の中を移動してゆく。 周りの酔った男達はようやく異変に気付き、騒ぎだしていた。闇にレーザーのパルスが光る。 「だれだあ?発砲したやつぁ!?」 突然、何者かに襲われた恐怖と暗闇、そして酒の勢いも相まって店内は大騒ぎとなった。 アルフィンを小脇に抱えた男はしばらく暗闇を駆けた後、店の外に出た。そして薄暗い裏通りを通って地下にあるこの店に辿り着いたのだ。 暗い照明の元で見る男は、宇宙焼けした体格のよい男だった。 しかしスペースジャケットではなく、グレイのシャツにモスグリーンのよれたジャケットを着ている。 年齢はよく分からなかったが、顔に刻まれている皺から見るとそう若くはないのだろう。 男はアルフィンのドリンクを注文した。男の酒はカウンター奥のマスターが既に分かっているようだった。 おもむろに胸ポケットから出したシガーに火をつけ、男はゆっくりと煙を吸い込んだ。 「やつらもとんだ災難だったな。綺麗な蝶だと思ったら、鋭い針を持つ女王蜂だったか」 ずっと黙っていた男が、ようやく口を開いた。 「いつもこんな我が儘女王にかしずいている蜂<ナイト>も大変だな」 アルフィンが外していた視線を戻して、いささかむっとしながら答えた。 「失礼ね。私そんな横柄じゃないわ」 「おまえみたいな美人にはありがちだが。自分を中心に宇宙が廻っていると思っている」 「そんなこと、思ってないわよ。それに宇宙はそんな生易しいモンじゃないわ」 「ほう?宇宙船乗りのような口をきくな」 男が僅かに首を傾げ、シガーを持ち直した。 「宇宙船乗りなのよ、これでも」 アルフィンが再びグラスの縁の光を見ながら、呟くように言った。 男の手がふと止まる。その指先から紫煙が細くゆらめいた。 「そんな華奢な身体でか?物好きなものだ」軽く肩をすくめてみせる。 「――じゃあ、相手の男も宇宙船乗りか?」 「そうよ。それも最高の、ね」 アルフィンがグラスの縁から視線を外さぬまま、小さく首を傾げて言った。 細い金髪がさらりと音をたてて肩から胸へと流れる。 その様を眺めていた男はしばらくして口を開いた。 「意外だな。おまえがそいつの宇宙に引き込まれたのか?」 「・・・どういう意味?」 男の台詞にアルフィンは顔をあげ、訝しげに訊いた。 男はテーブルの下で足を組み上体を椅子の背にもたせかけて、ゆっくりと話だした。 「人間はこの広大な宇宙を彷徨う星のようなものだ。あるところで新たに星は生まれ、またあるところでは死期を迎えた星が消滅してゆく。 そして星たちの運命はそれぞれの『宇宙の法則』によって運行されてる。強い力を持つ星はその引力で周りの星々を取り込んでゆく。 男と女の関係も例外じゃない。強い力を持つ相手に引き込まれた者は、その星の『宇宙の法則』に組み込まれ、ずっとその星の周りをめぐり続ける運命にある」 男はシガーの灰を落とし、その手を顎に添えた。 「しかしそれを望まないのならば簡単だ。おまえの星の力でやつの引力を振り切ればいい。宇宙は広いぞ。また別の星を探すことも出来る筈だ」 「他の星を・・・探す気はないわ」 しばらく黙って男の話を聞いていたアルフィンは、少し掠れたような声で答えた。 「自分で選んだ星よ。それに・・・もうすっかり取り込まれちゃったのよ」 「とんだ我が儘女王蜂かと思ったが。蝶のように可愛いところもあるもんだな」 「茶化さないで」 「完全に取り込まれているのならば、そのまま従順にやつの星の周り廻っていればいい。何の問題がある?」 男の問いに少女は僅かに眉をひそめ、そして再びグラスの縁を見るようにその長い睫毛をふせた。 「・・・時々、分からなくなるのよ。私は彼の宇宙を選んで飛び込んでみたけれど。彼の『宇宙の法則』に私は組み込まれているのかしら?私は彼の宇宙に必要な存在かしら?ずっとその引力で私を捉えていてくれるかしら?」 アルフィンの細い声は呟くように小さくなり、店の薄暗い空気に吸い込まれた。 男はしばらくじっと目の前の少女を眺めていたが、やがて低い声で話始めた。 「やつの『宇宙の法則』がおまえの存在を不要とみなしたならば引力は弱まり、おまえは外へ弾き飛ばされるかもしれないな」 「・・・・・」 「まだおまえは若い。そうしたら『彗星』のように自由に宇宙に飛び出し、次の星を探すといい」 アルフィンがその小さな肩をすくめて答えた。 「若さなんて関係ないわ。次の星も要らないの」 「それが若いというんだ。何度も言うが宇宙は広い。もっとおまえを捉えて離さない、強く光り輝く星だってたくさんあるだろう。何もその星だけに固執することはない」 「もし、彼の『宇宙の法則』が私を不要とするのならば・・・」 アルフィンはテーブルに肘をつき、自分の身体を抱くように細い両腕を肩に廻した。その碧い瞳を金の睫毛の下に隠し、もう男の声も聞こえないかのようにそっと呟く。 「『彗星』になって外の宇宙なんかに飛び出さずに。『流星』となって彼の大気の中で燃え尽きるわ」 男は少女の呟きに打たれたかのように動きを止め、己の肩を抱く少女の指をじっと見つめていた。 と、店の扉が突然開いた。差し込む細い光につられて、数人の客が振り向く。 逆光の中を黒い人影が店の中に滑り込んできた。 暗がりの中でも強く光る瞳が、素早く店の奥に座る少女の姿を捉える。 「アルフィン」 すらりと背の高い青年が足早に近づいて来た。テーブルの傍らに来たところで少女の前に座る男に気付き、はっと身体を硬くする。 「誰だ、あんたは」 「宇宙船乗りならば、最初の挨拶で名を名乗るもんだが」 男は腕を組み、椅子の背もたれにゆっくりと上体を預けた。シガーをくゆらせながら面白そうに傍らの青年を見上げる。 「ここは地上だ。関係ない」青年がむっとしたように答える。 「ジョウ、大丈夫よ。助けてくださったの。前の店で」 アルフィンが間に割って入るかのように、身を乗り出した。 「あの柄の悪いパブか?なんであんなとこに入った?」 「・・・追ってきてくれたの?」 「店ん中がめちゃくちゃだったぜ。俺もとんだとばっちりを受けた。店のマスターに訊いたら、アルフィンが誰かに連れられて店を出たと言うんで」 そこまで言ってジョウは僅かに片方の眉をあげ、口の端に手の甲をあてた。 アルフィンは薄暗い照明の下で改めてジョウの顔を見た。いくつかの痣のほかに唇の端も切れて血が滲んでいる。驚いてアルフィンが目を丸くした。 「あんまり心配かけるな」 「・・・ごめんなさい」 アルフィンが小さな声で詫びた。 ジョウが男の方に身体を向けた。 「先ほどは失礼した。彼女を助けてもらって感謝している」 「礼なぞいい。その代わり彼女をちゃんと捉えて離さないことだ」 面白そうにふたりのやりとりを聞いていた男は、短くなったシガーをおもむろに指先で消した。 細い煙が最後の息を吐き出す生き物のように、揺れてたなびく。 「おまえの『宇宙の法則』から弾き飛ばされるんじゃないかと、不安がってる」 「なんのことだ?」 ジョウが訝しげにアルフィンの方を見た。 アルフィンは僅かに頬を染めて俯いた。そんな少女に視線を移し、男は低い声で言葉を続けた。 「まあ、おまえの取り越し苦労のようだがな。店に入ってきたときの血相を見れば、おまえが完全にやつの法則に組み込まれているのがよく分かる」 少女が驚いたように顔をあげ、その碧い瞳でまっすぐに男を見た。 「・・・そうかしら?」 「男の法則のことくらい分かる」 じっと男の顔を眺めていたアルフィンは、やがて恥ずかしげに微笑んで小さい声で言った。 「ありがとう。あなたも・・・宇宙船乗りなんでしょう?」 「大昔の話だ」 男は再び、胸ポケットからシガーを取り出して火をつける。 そしてもうそれ以上、何も言わなかった。 「あんたにしちゃあ、存外におせっかいなことだ」 席をカウンターへ移した男の前に、初老のマスターがさりげなくバーボンのグラスを滑らした。 青年と少女が連れ立って出て行った扉の方を見遣り、男がグラスを取リ上げる。 「あんないい星を宇宙で迷わすのは人類の損失だろう?」 舌を焼くような刺激のある液体を流し込み、男は軽く吐息をはく。 「それに何時やつを離れてこっちへ廻ってくるかもしれん」 「いや、ありえんね」 グラスを拭く手をとめずに、マスターが肩をすくめてみせた。 「あのふたりは並外れて強い星同士だ。強い力で引き合っているからこそ、離れずに互いの星の周りを廻っている」 そしてカウンター越しに身を乗り出して、声を落として話はじめた。 「しかしまあ、金髪のお嬢ちゃんの碧い目の素晴らしいこと!どんな高価な宝玉よりも煌いて、本当に引き込まれそうだった。あれを手に入れるためなら、男どもは命さえ投げ出すだろうよ。 そして見ただろう?あの青年の目を。意志の強い、よく光るいい目をしてたなあ。すべてのモノを射抜くような目だ。あんな強い光を持つ星たちには、そうそうお目にかかれんて」 男はよく喋るマスターの話を、グラスを傾けながら黙って聞いていた。 「しかし・・・」 マスターが磨いたグラスをかざして、店の薄暗いライトに透かせてみせる。 「そのうち立場が逆転するかもしれんな。気付かないうちにあの嬢ちゃんの宇宙に取り込まれて、あの青年が彼女の周りを巡るようになるかもしれん」 自分が言った台詞に満足気にくくっと笑う。 「もう『宇宙の法則』が書き換えられてる、という訳か」 「気付いてないのは当人たちだけ、ってな」 ふたりは視線を合わせ、面白そうに目を細めた。 「久しぶりに、また宇宙に出たくなったよ」 男は自分の指先からゆらめいて立ち上る紫煙の先を眺めた。 その煙の先があたかも広大な宇宙へと続いてゆき、その先に煌く星が見えたような。 ――そんな錯覚を覚えて、男は薄く笑った。 |
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