「驚いた。よく入ってこれたわね」

アルフィンがその碧い瞳を見開いて言った。
はくちょう座星域にある太陽系国家ピザン。銀河系で唯一王制を敷いているその国の国王のひとり娘、アルフィン王女の部屋は首都ピザンターナにある王宮の奥にあった。
継承権は持たないとは言え、現国王の娘である。
宮殿内の警備は強固で、関係者以外はとうてい近づけるものでは無かった。

――その王女の部屋に。
ひとりの若い青年が入って来たのだ。それも扉から堂々と。

「プリンセス・アルフィンの幼馴染だ。その上、宮殿の秘密の通路もすべて熟知している」
癖の無い栗色の髪をかき上げ、その青年は太陽のように笑った。
窓から差し込む陽の光にさらされて、明るい薄緑色の瞳が煌く。
「今度、近衛隊長のドレンによく言っておくわ」
アルフィンがその小さな頭を左右に振りながら、ため息まじりに笑った。
青年はその言葉が聞こえなかったかのように、おもむろに部屋の中を見回す。
壁際のクローゼットの扉や、ドレッサーの引き出しがそこかしこ開いている。テーブルやソファには衣類や細々としたものが散乱していた。
「国王と王妃になんとか止めるように言われたのだが・・・もうすっかり決めたみたいだな」
「誰が何と言ってもムダよ」
アルフィンがつん、と横を向いて言った。が、青年の視線に気付き、慌てて散乱していた衣類を大きく開いたケースにまとめて詰め込む。
「またうちのプリンセスの想い込みが始まった」
青年は肩を大袈裟にすくめ、ゆっくりと背の高い窓際に歩み寄った。
「こうと思ったら一歩も引かない。昔から変わらないな、そういうところ」

窓際に掛けられていた瀟洒な鳥籠から美しい鳴声が響いた。
明るい黄色の羽を震わせて、小さなカナリアが透き通るような声で歌う。
「本当に行くのか?王や王妃、そしてこの・・・ピザンの国も捨てて?」
青年はその長身をかがめて、鳥籠の中を覗きこみながら訊いた。
「捨ててゆくつもりなんかないわ。お父様やお母様、そして私の生まれ育ったこの美しい国を忘れる事なんて出来ないわ。全部私の中に持ってゆくの。そう、あなたのこともよ・・・クレイ」
アルフィンは荷物を詰めていた手をふと止めて、窓際に立つ青年を見遣った。

クレイと呼ばれた青年は振り返りもせず、じっと籠の中のカナリアを眺めている。
「私ね、このピザンで生まれてからずっと・・・お父様やお母様、そして周りのたくさんの人たちに愛されて大事に育てらてきたわ。確かに王女という立場上、窮屈なことも色々あったけれど、それを上回る愛情をたくさん受けて本当に幸せだったと思うの」
王女は自分の淡いブルーのドレスの布をもてあそびながら、俯き加減に言葉を続ける。
「でもね、いつまでもこの暖かいベッドで素敵な夢を見ている訳にはいかないのよ。いつか飛び起きて自分の足で自分の人生を歩いてゆきたいと、ずっと思ってた。
今がまさにその『目覚める時』だと思うの」
鳥籠にかがみこんでいたクレイはゆっくりと身体をおこし、王女の方に顔を向けた。
そして自分に向けられた強く光る碧眼をじっと見つめ返す。
お互いが押し黙ったまましばしの時が流れ、やがて青年の方が先にふっと視線を外した。
そしてゆっくりとかぶりを振りながら呟くように言った。
「プリンセス・・・そのままおとなしく眠っていてくだされば、騎士<ナイト>がずっとお守りいたしますのに」

アルフィンはその視線を逸らさずにじっと青年の横顔を見ながら答えた。
「分かっているでしょ?クレイ。私はただ守られているだけの王女なんてイヤよ。安全な鳥籠の中で歌うだけのカナリアもごめんだわ」
「分かっているよ、プリンセス・アルフィン。おそらくこの<ナイト>は宇宙の誰よりも王女のことを理解しているつもりです。そしてその御心が、決して揺るがないことも」
青年は浅くため息をつきながら呟き、そしてそっと王女の方に顔を向けた。
「だが、本心は不安で押しつぶされそうなんだ。国王と王妃など、もう何日も夜も眠れぬ有様だ。それは分かってくれるだろう?
確かにジョウは一流のクラッシャーだ。彼がついて居てくれれば何も恐れることは無いかもしれない。
だが、クラッシャーの世界は今までの生活とは全く違う。僕達には想像すらできないところだ。
彼は今回の事件で確かにこのピザンの騎士<ナイト>になり得たが・・・しかし、果たして君の<ナイト>にはなり得るだろうか?
そんなリスクを犯してまで、君は彼の世界に飛び込む価値があるのだろうか?」

青年の言葉を静かに訊いていたアルフィンは、ドレスの上の小さな手をぎゅっと握り締めた。
「そんなこと・・・分からないわ。でもそんな価値があるか無いかなんて、たいした問題じゃないと思うの。その世界に足を踏み入れてみなければ、歩いて行けるかどうかなんて誰も分からないわ。
世界の縁に足をかけて、跳び込むかどうかずうっと悩んでいるなんて・・・そっちの方が、ばかげているわ」







「あれは・・・君が6歳になったばかりの春先のことだっただろうか」

王女の言葉には答えず、青年は窓の外を見遣りながらぼんやりと言葉を継いだ。
その台詞に促されるようにアルフィンは立ち上がり、窓際へと歩み寄る。
「君がエレ・ストゥラストヴァレーにある宇宙樹を見たいと言い出して、ゴネた時も大変だった」
「やだ・・・そんなこと覚えてるの?」
窓際に立つクレイに寄り添うように近づいたアルフィンが、恥ずかしげに俯いた。
「誰が噂しだしたのかは知らないが、深夜の零時を廻る頃、宇宙樹の幹に星々の灯りがともり、その焔が青く瞬いている間に祈りを捧げれば、あらゆる願い事が叶うという」
クレイが節のある言い回しで、詠うように言った。
「もちろん、小さな王女が深夜の外出など許されるはずも無い。しかし、君はその樹の前で祈りを捧げると言ってすっかりゴネてしまった。だから僕は『本当に願い事が叶うかどうかなんて、分からないよ』と、小さな王女を諭したんだ。僕だって春先の寒い夜にそんなとこ、行きたくなかったしね」
「あら、そうだったの?」
アルフィンが意外そうに目を丸くする。
「そうさ。その頃の僕は真っ暗闇も怖かったんだ。しかし、このお姫様ときたら平気な顔をして・・・なんて言ったと思う?」
クレイはおもむろに振り返り、その薄緑色の瞳で真っ直ぐに王女を見た。

「願い事をする前に、それが叶うかどうか迷うなんて・・・全くばかげてるわ」
「そんなこと・・・私、言った?」
「仰いましたとも。従順な気の弱いナイトは王女の仰せの通り深夜の真っ暗闇の中、震えながら宇宙樹までお供したのさ」
クレイはその時のことを思い出したのか、くくっと上体を傾げて笑って言った。
「今の君の台詞と、ほとんど違わない」

「嫌な人ね、あなたって」
アルフィンが恥ずかしげに頬をわずかに染めて、上目遣いに睨んだ。
そんな視線を気にするふうもなく、青年はかしこまった口調で訊く。
「あの時、何を願ったのですか?我がプリンセス」
王女は一瞬考えたそぶりを見せたが、すぐにその碧い瞳を悪戯っぽく輝かせて云った。
「素敵な宇宙海賊になれますように」
「うそだろ?」
「ほんとうよ。いつか自分が本当に望む道を・・・自分の足で歩いてゆけますように」
アルフィンは笑いを含んだ声で言った後、その幼い昔の情景を思い浮かべるかのように遠い目をした。

「あの宇宙樹。青い星々が灯ると、樹全体が焔のようにゆらめいて・・・ほんとうに綺麗だったわ」
「ああ。怖いくらいに冷たい光なのに、魅入られたようにその場を動けなかった」
「そう云えば、祈りが終った時にいきなり野犬が襲ってきて。あなたは右手を噛まれたんだわ」
アルフィンがそっとクレイの右手をとった。
白い少し大きい手の親指の付け根に、小さな傷痕があった。
「お陰でそれからすっかり左利きになってしまった。これが結構便利なんだ」
クレイは可笑しそうに答える。
王女はそっと青年の右手の小さな傷痕を撫ぜながら、呟くように云った。
「あなたはいつも無鉄砲な私を守ってくれたわ」

「これからも・・・未来永劫何処へ行こうとも、私はプリンセスをお守りしますよ」
クレイは目の前で俯く小さな金の頭を眺めながら、そっと呟いた。







 陽が傾き始めたのか、背の高い窓から入る橙色の光がフロアから壁をゆっくりと照らしてゆく。
籠の中のカナリアが眩しそうに目を細め、羽音を立てて止まり木に移った。

「たぶん、初めてだろうな。プリンセスからクラッシャーへの華やかな転身は」
クレイが上手に片目をつむって、笑いながら云う。
「銀河中のマスコミからインタビューがあるかもしれない。なんたってプリンセス・アルフィンのことを宇宙一知っている幼馴染だ。ヘアスタイルを整えてスタンバっておかなければ」
芝居じみた仕草で栗色の前髪をかきあげ、背中をそらせた。
「あら、そのスタイルで充分魅力的よ。でも、いいこと?要らないことは喋っちゃだめよ」
「あの塀のシールドを壊したこととか?」
「んもう!クレイったら!」
アルフィンが思わず肩を叩く。ふたりはひとしきり声をあげて笑った。

「君はいつも太陽みたいに周りを明るくするな。王女の居ないピザンなど、冬の惑星になってしまう」
クレイが目を細めて眩しそうにアルフィンを見た。
「太陽はまた空をめぐり昇ってくるわ。季節も同じように移ろい、やがて春がやって来る。この惑星にどうかいつまでも穏やかな暖かい光が満ち溢れていますように」
アルフィンはそっと頭を下げて、祈るように呟いた。
「私、宇宙の何処に居てもずっとこの惑星のことを想っているわ。お父様やお母様、すべての人々の幸福を心から願っているわ。もちろんクレイ、あなたのこともよ」

「私の幸福は昔からプリンセスと共にありました」
クレイはおどけた様子で云った後に、そっと王女の華奢な肩を抱き寄せた。そしていつもする挨拶のようにさりげなく屈み込み、王女の頬に軽く口づける。
「ハッピーバースデイ、アルフィン」
「クレイ・・・私の誕生日は」
「分かってるよ。でも今日この日は、君が新しく生まれ変わった日だ。もう、プリンセス・アルフィンは何処にも居ないのだよ」
その薄緑色の瞳に寂しげな色を漂わせて、青年はきっぱりと云った。
アルフィンはその言葉に驚いたように碧い瞳を見開いていたが、ふとその長い睫毛を伏せて答える。
「ごめんなさい。いつも私・・・わがままばかりで」

「太陽のような我らがプリンセス。あなたの大輪の花が咲いたような華やかさが、今まで私達をどんなに元気づけてくれたことか!」
王女の台詞を遮るように、青年が朗らかに言葉を続ける。
「願わくば、その美しい花がいつまでも萎れることの無きよう」
すっと青年は王女の前に跪き、右手を胸にあてて丁寧に辞儀をする。
「宇宙の何処に居ても、ピザンの国民は王女の幸せを心から願っております」
「・・・クレイ」
「さて、この幼馴染が王と王妃の説得役を買って出ましょう」
云い終わると同時に青年はすっくと立ち上がり、王女に微笑んで云った。
「それでは失礼するよ、アルフィン」
「クレイ」
アルフィンが思わず一歩踏み出したが、それを制するかのようにクレイは踵を返し、滑らかな動作で扉の向こうに姿を消した。

そしてゆっくりとクレイは重い木製の扉を後ろ手に閉めた。
真鍮の鍵のかちゃり、と閉まる音が廊下に響く。
青年はその上体を扉に預けたまま目を瞑り、わずかに顎を上げて呟いた。
「さようなら。私のプリンセス」

しばらくの間、青年は石の彫刻のように動かなかった。
が、やがてゆっくりと身体を起こし、足音も無く王女の部屋の前から立ち去った。



<END>





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