ジョウは金縛りにあったように動けないでいた。 見慣れた自室のベットの上で、アルフィンがゆっくりと身体を起こした。 細く白い指がシーツの波を軽く掴んだ。パールオレンジに輝く小さな爪が鮮やかに映える。 手首から上へ流れるような線を描く腕は、そのまま露となったまろやかな肩へと続く。 シュミーズの細いストラップが、艶かしくその肩から滑り落ちた。 「お願い、ジョウ。いかないで・・・」 金糸を思わせる細い髪が少し湿り気を帯びて、肩から柔らかな胸へと流れ落ちる。 オフホワイトの薄い素材はシルクだろうか。 まるで花びらのように身体に纏わりつき、それが一層彼女のしなやかな肢体のラインを浮き立たせた。 ジョウはからからに渇いた咽喉に耐え切れず、ごくりと唾を呑みこんだ。 静かな部屋の中でその音だけが、やけに響く。 アルフィンの髪から甘い香が漂い、ジョウの鼻腔をくすぐる。 目眩にも似た感覚に襲われ、よろめくように一歩近づいた。 もう指を伸ばせば彼女の柔らかい肌に触れられる。お互いの身体から発する熱が周りの空気の密度を一層濃くしてゆくようだった。 透き通るような白い肌がわずかに上気し、潤んだ碧い瞳がまっすぐにジョウを見上げた。 濡れた唇が小さく開き、ささやくような声がもれる。 「ジョウ、ここへ来て。そしてずっと・・・傍に居て」 それは一通のメールから始まった。 銀河系にネットワークを置くカプリコーン・ネットバンクから問合せがきていた。 「銀河標準時間の昨夜12:00に処理致しました、お客様からの送金内容に誤りがありました。つきましては貴口座から一旦、当該取引の返金処理を行いたいと思います。 このメールを受信されましたらアカウントとパスワードをご確認の上、弊社サイトからアクセスしてください」 「なんだ、こりゃ」 ジョウは僅かに右眉をあげて、独り呟いた。 彼は久し振りにチームリーダーらしい仕事に従事していた。 めったに整理しないメールやフォルダの確認、整理を行っていたのだ。 とは言え、アラミスやクライアントからの緊急連絡や各種支払関係のメールは常にメイン回線に接続しているドンゴがチェックしているので、そこから転送されてきたメールやジョウ個人宛に届いたものを確認しているに過ぎないのだが。 クラッシャージョウチームとして取引しているネットバンクはいくつかあったが、ジョウはこの名前に見覚えが無かった。 ――確認できない件で相手が入金してきてる?その上、返金処理だと? ジョウは面倒だと思いながらも、状況を確認するためにオンライン窓口にアクセスする。 「貴バンクとの取引が確認できていないが、どの件における入金であったか?」 簡潔な問合せに、リアルタイムでの返答が返ってきた。 「貴運営サイトの登録ユーザー様からの送金となります」 「???」 余計訳が分からなくなってきたジョウであったが、ふとそのコメントの下に記されている運営サイトのアドレスに気付いた。 ためらわずにアクセスしてみる。 軽やかなミュージックが流れる。そしてゆっくりとモニタにひとりの少女が浮かび上がった。 「はじめまして。ここはアルティナのお部屋よ。どうぞゆっくりしていってね」 ――こぼれるような微笑を浮かべたその少女は。 「ア、アルフィン・・・」 たっぷり5分間ほど凍りついていたジョウは、突然はっと我に返った。 そして再度、まじまじとモニタの中の少女を見つめる。 小さな金色の頭を少し傾げ、天使のように愛らしく微笑むその容姿は。 ――間違いなく、アルフィンだった。 が、どことなくジョウは違和感を覚えた。 輝く金の髪は眩しいくらいのプラチナ・ブロンド。アルフィンはもう少し蜂蜜色がかったブロンドだ。 深い海のような碧眼も心なしか淡いグリーンが混じっている気がする。 ・・・・・・そして。 なんと云ってもその少女の醸し出す雰囲気が、退廃的なほど艶かしいのだ。 それはアルフィンの溌剌とした健康的な愛らしさとはまた、異なるものであった。 ――しかし。別人ではないな。 ジョウは眉をひそめて、その少女を眺める。 と、少女が花のように微笑んだまま言葉を継いだ。 「どうしたの?早くパスワードを受け取って、アルティナのお部屋に遊びに来て」 くらくらするほど愛らしい笑顔に、ジョウの頭に一気に血がのぼった。 「そんな顔して誘うなっ!!」 しかし次の瞬間、モニタに向かって怒鳴る自分に気付き、振り上げた拳を力なくデスクの上に置くのだった。 しばしの間、気持ちを落ち着かせるために大きく肩で深呼吸する。 ――要は誰がこのサイトを運営しているか、だ。 少し冷静になった頭で、落ち着いて思考をめぐらせる。 エントランスから見るかぎり、これは成人男性相手のコミュニケーションサイトであろう。 アルティナを気に入ったユーザーが会員登録料を払い、アカウントとパスワードを取得、アルティナの部屋に入ってオンラインで楽しい時間を過ごす、というやつだ。 ――まさか。アルフィンが気晴らしに相手をしているのか? インターネット時代に突入した20世紀末より、この手のサイトの基本形態はたいして変化はしていない。もちろん高性能のアンドロイドやセクサロイドに開発により、高度の風俗産業の進化は認められるが、このようなネットを通しての手軽で安価なツールは決して廃れることはないのであった。 そして機器の発達によりオンラインで会話し、相手の表情を読み取り、香りや手触りなどの五感をフルにセンシングできるシステムが構築されている。 つまり宇宙の何処に居てもその場で彼女と相対し、身体に触れることが出来るのだ。 「だって。ジョウはちっとも相手してくれないんだもの」 可愛らしい口を尖らせ、恨めしげにジョウを見上げる碧い瞳。 ジョウが何事か弁明しようと向き直ると、その姿がすっと離れた。 ――そして、オンラインで繋がった世界で。 アルフィンが見知らぬ男性にそのこぼれる様な笑顔を向け、耳元に唇を寄せて囁く。 男の無骨な手が彼女の華奢な肩を抱き寄せ、白いうなじに口づけをする。 少女は小さな声を漏らし、力の抜けた人形のように男の胸に倒れこんだ。 ジョウは突然我に返り、頭を激しく左右に振って浮かんだ妄想を振り払った。 「そんなこと。ある筈がない・・・」 苦しげに呟いたジョウは、ふとあることに気付いた。 「そうか。<ミネルバ>の回線で誰がアクセスしているか履歴を調べればいいのか」 素早くキーを叩くジョウの指が、最後のエンター・キーで止まる。 もし、アルフィンの個人回線が表示されたら。 しばしためらった後、ゆっくりとキーを押した。 「・・・誰もアクセスしてない?」 ジョウはきょとんとしてモニタのメッセージを眺めた。 <ミネルバ>で使用している4人の個人回線にアクセスの履歴は確認出来なかった。 ――4人・・・? 彼はふと、重大な事に気付いた。 瞬時にメインの通信回路履歴を検索する。モニタに一気に数字が溢れかえった。 間髪入れず、左手の通信機に向って怒鳴る。 「ドンゴっっ!!」 <ミネルバ>で唯一個人回線を持っていないロボットがジョウの部屋に入ってきた。 それは即ち、常時メイン回線に繋がっている唯一のロボットでもあった。 「キャハハ。オ呼ビデスカ?」 呑気にシャリシャリとキャタピラを鳴らして移動し、デスクの左脇で止まった。 ジョウが振り返りもせず、モニタに向かって顎をしゃくる。 「これの説明をしてみろ」 「キャハ?」 ドンゴが卵型の頭部をモニタの方に回転させ、表示されている画像をセンサーが確認した。 モニタの中でアルティナがにっこりと笑いかける。 「早くパスワードを取得して、お部屋に遊びにきてね」 「キ、キャハ???」 頭部のLEDランプがおかしな間隔で点滅する。人間で云えば、明らかに挙動不審な行動であった。 ジョウがゆっくりと首をめぐらし、ロボットの方に顔を向ける。 漆黒の瞳がぎらり、と炯った。 「正直に言わないと、今この場で解体するぜ」 ドルロイ製の優秀な万能型ロボットの、なんとも支離滅裂気味の説明が終わった。 ジョウは肘をついた左手で額を支え、眉間にしわを寄せたまま目を閉じて黙って聞いていたが、やがて大きく息を吐き出し顎をがっくりと下げた。 「・・・大体のことは、何となく分かった。要するにおまえは勝手にアルフィンの映像と音声を取り込み、加工・プログラミングしてこのサイトを立ち上げたんだな? んでもって、契約していたネットバンクがユーザーの送金間違いに気付いてメールしてきた。おまえはそのメールチェックをミスし、俺の回線にまわってきて初めて露見した」 ゆっくりと面を上げ、その漆黒の目が傍らのロボットを睨みつける。 「・・・で?何の為にこんなの作ったんだ?」 「・・・デス。キャハ」 「音量をあげろ!」 「・・・ワタクシ個人ノ収入ガ欲シカッタノデス」 「何のために?」 ジョウの声に訝しげな響きが加わる。 「・・・購入シタイモノガアッタノデス」 ドンゴの機械的な返答が、なんとも歯切れが悪い。 「欲しいものがあるんなら、言えばいいじゃないか!定期的におまえのオイルや部品もチェックして買ってるはずだぜ」 「イ、イエ。ソオユウ消耗品デハナク。半永久的ニ楽シメルモノデス・・・」 「だから何だよ!?」 「コレ以上ハぷらいべーとニ関スルコトデスノデ、こめんとデキマセン・・・」 「ほお・・・」 ジョウが上体を起こし、胸の前でおもむろに腕を組んだ。シートの背がぎしり、と鳴る。 「おまえにプライベートを主張できる権利があると思ってんのか?その前にアルフィンの肖像権の問題だろーが!?」 「デスカラ、分カラナイヨウニチョット加工シマシタ。キ、キャハ」 ドンゴがLEDランプをおどおどと点滅させる。 「知ってるヤツが見れば一目瞭然だ!アルフィンは元ピザンの王女だぞ!関係者が気付いたらどんなことになるか・・・」 そうだ。信頼して預けた愛娘・王女がこんなサイトに出演していることが国王関係者なんかに知れたら訴訟問題、果ては国際問題にまで発展するかも知れない。 「おまえは人格権・肖像権の侵害という違法行為をしている時点で、アラミスの処分対象だ。即刻、訴えられても文句は言えないぜ」 「・・・コノさいとヲ、あらみすガちぇっくスルノデスカ?」 「・・・・・」 「議長ガゴ覧ニナッタラ。ビックリ。キャハハ・・・」 ジョウが座った姿勢のまま、無言でドンゴを蹴り倒した。 「ミギャー!」 「すぐにドルロイに送って解体処分してもらう!問答無用だっ!!」 ジョウがシートを蹴倒し、立ち上がって喚く。 「ソ、ソンナ。先代カラ従順ニオ仕エシテキマシタノニ・・・」 「親父と俺は別だ。ドルロイに言ってもっと優秀なヤツを作ってもらう!」 漆黒の瞳が、床に転がるドンゴを鋭く射抜く。 「それとも何か?ドルロイなんかで分解されるより、今アルフィンに即刻暴露して、宇宙空間にでも放り出してもらうか?一番近い太陽系の恒星に吸い込まれて一瞬で溶解したほうがラクに死ねるぜ?」 「じ、じょう・・・」 ドンゴはすでに半泣き状態であった。 アルフィンを持ち出したことにより、ドンゴはあっさり観念してサイトのクローズ作業に取り掛かった。 ジョウも口ではああ言ったが、長年家族同様<ミネルバ>で一緒に暮らしてきたチームメイトだ。今回の行き過ぎた行為には目をつむって、ドンゴへの「貸し」にしておくのも悪くは無い。 「・・・待て。俺がやる。おまえにやらせると本当にバックアップデータまで削除したか、確信が持てないからな」 ジョウがシートに座りなおし、モニタに向った。 「キャハ。信用度0ぱーせんと・・・」 「あたりまえだろ!」 まずは管理サイトへアクセスしてクローズ申請、アップされているデータを全て削除をしなければならない。 管理サイトが認証メッセージを表示させてくる。 「アカウントのスペルは?おまえの名前か?」 ジョウが横目でドンゴを見下ろした。 「・・・じぇい・おー・いー」 「俺の名前かよ!?」 「登録サレテイル乗務員(人間)ノ名前シカ受ケ付ケラレナイノデス・・・。キャハ」 ジョウが憮然とした表情でキーを打つ。 「パスワードは?」 「えす・ぶい・06542−・・・」 「ンなもんに<ミネルバ>の船籍コードを使うなっ!!」 認証メッセージの後、すぐに管理用サイトが開く。 と、いきなり隣からすずやかな声が聞こえた。 「こんにちは、ジョウ。いつもご苦労様」 驚いて右横を見ると、細い腕を後ろ手に組んだアルティナがにっこりと微笑み、ジョウを覗き込んでいる。 「なんだ、これは?」 ジョウは慌ててドンゴの方に首をめぐらした。 「あるてぃなチャンデス。キャハ」 「ンなことは、分かってる!なんでこんなホログラム映像で出てくるんだ?」 「キャハ。ワタクシノ高度ナぷろぐらみんぐニヨリ、あるてぃなチャンハ限リナク、りあるナ3Dほろぐらむ映像デ投影サレマス。通信機器ニ連動シタさうんど・ふれーばー・ぷれしゅあしすてむガアレバ、現実ニソノ場ニ存在スルカノヨウナあるてぃなチャント会話ガデキ、触レ合ウコトモ可能デス」 ドンゴの最後の説明あたりで、ジョウの眉が跳ね上がる。 「・・・触って、どーするんだ?」 すぐに攻撃できるように身体を左に開く。すでに拳が握られていた。 「キ、キャハ。触レルダケデス。チャントソレ以上ノ行動ハぶろっくサレルヨウ、ぷろぐらみんぐ済ミデス」 「それ以上の行動だとっ!?」 ドンゴのキャタピラが目にも止まらぬ速さで逆回転した。瞬時にジョウとの間合をとる。 「デ、デスカラ。コノさいとハ至極健康的ナモノナノデス。あるてぃなチャント楽シクオシャベリシテ、手ヲ握ルコトクライシカ許可シテオリマセン」 ジョウはしばし後退したロボットを睨みつけた後、憮然とした表情でモニタに向き直った。 「クローズ手続きが完了してデータが削除されれば、こいつは消えるんだろうな?」 「・・・哀シイコトデスガ、ソウナリマス」 ドンゴが名残おしそうにアルティナの方に頭部を向ける。 「アルティナ、ここにいては駄目?」 傍らに立つ少女が、小さく首を傾け覗き込む。細いプラチナ・ブロンドがふわり、とジョウの肩にかかった。 ジョウがぎょっとして反射的に身体を離す。 「このお部屋を開いた時から、ずっとお世話してくれたのに。もう用が無いので私を消しちゃうの?」 小さな両手を胸の前に組み、アルティナは碧い瞳を潤ませて近寄る。 「い、いや。俺が世話してたんじゃなく、こいつが・・・」 ジョウはホログラム映像相手にしどろもどろになりながら、助けを求めるようにドンゴの方を見遣った。 「素晴ラシイ。あるてぃなチャンハ簡易AI機能ガ付加サレテイマスノデ、経験値ヲ元ニソノ会話能力ヲ向上サセテユキマス。コンナニ可愛ラシク”おねだり”ガデキルトハ。ワタクシノ高度ナぷろぐらみんぐノ賜物デス。キャハ」 しかし当のドンゴは、頭部のLEDランプを点滅せさせて悦に入っているばかりだ。 「そんな能力なぞ、どうでもいい!とにかく、これをどうにかしろ!!」 ジョウがとうとう癇癪を起こして喚いた。 「キャハ。ソ、ソウデスネ。ぶりっじノめいんこんぴゅーたカラ至急、処理シマス」 チームリーダーの剣幕にドンゴは慌ててキャタピラを車輪走行に変えて、部屋を飛び出して行った。 部屋にはジョウとアルティナのふたりだけが取り残された。 自分の横顔をじっと見つめる視線にいたたまれなくなり、ジョウはモニタのスイッチを落とそうと指を伸ばす。 と、アルティナの白くしなやかな指がジョウの手に触れた。 電流が走ったかのように、ジョウが慌てて指をひっこめる。 「な、なんだよ・・・」 ジョウの声は情けないことに少しうわずっていた。 何よりも触れた指の感触があまりにも生々しいことへの驚きを隠せない。 「アルティナ、ずっと・・・ジョウと一緒に居たいわ」 少女はジョウを誘うようにそっと腕をとり、ベッドの方へいざなった。 そして柔らかい音をさせて、シーツの波間に倒れ込む。 ジョウは叩かれたように立ち上がり、後ずさった。派手な音をたてて、シートが床に転がる。 アルティナが切なそうな表情でジョウを見上げる。 「お願い、ジョウ。いかないで・・・」 違和感は感ずれど、元データはアルフィンそのもの。 その彼女からの艶かしいまでの懇願に、ジョウの精神はすっかり掻き乱されていた。 洗いざらしのような髪から漂う甘い香りが、一層彼の思考能力を鈍らせる。 自分の体温の上昇とともに、頭の中はまるで真っ白な靄がかかったようだ。 そしてその靄の白い世界では、先ほどから思い浮かんだひとつの問いかけだけが、何度何度も繰り返されていた。 ――本当に。触れられるだけなんだろうか。 己には好奇心と偽る誘惑に、彼はどうしても勝てなかった。 部屋に立ち込めるねっとりとした空気に絡めとられるように。 ジョウはゆっくりと足を一歩前に踏み出した。 アルティナがその緑がかった碧い瞳に僅かに勝ち誇ったような光りを浮かべ、ゆっくりと微笑んだ。 「ジョウ、ここへ来て。そしてずっと・・・傍に居て」 |
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